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- » 2024 . 01
Category : 未分類
7年前の日記を見ていて見つけたのだがね。
「昭和30年代に定められた部課のアルファベット標記と略称見直し」というものがあり、NHK方式でリジェクトを食らったことがある。当時、3術校教育技術科で、インストラクター・トレーニング・コースでITCだった。だが、略称だけだと何のことかわからない。
だから、科の改正案としてKGKとして出してやったことがある。何書いて出してもいいということで、半分嫌がらせでのローマ字起源の頭文字として出したのだけれどもね。まあ、本部の偉い人が「真面目にやれ」「そんな略し方はどこにもない」と怒った。
そのオトッツァン(定年前の2佐)は大嫌いだったので「NHKもそうですし、KEK(高エネルギー研究所、しかもEnerugiね)もそうですよ」と口答えしてみると、顔を真赤にする。面白いので「日本海軍もIJNではなくて、KMやLWみたいにKai-Gunとする例もありますね」とか言ってみた。
その時は、副校長だかの「別にそれに変えると決めるわけじゃないから。いいんじゃないの」で終わり。もともと本気で変えようとする話でもない。その後にも、そのとおりになる訳もなく、ITCのままだった。
そう言えば、それとは別のオトッツァンに、名前のネームプレート※ で怒られたこともあった。大概は漢字かローマ字なのだが、面白く無いのでひらがなとカタカナの交ぜ書きにした。「もンたに」みたいな感じ。「いやあ、防衛対象国のスパイにわからないようにね」とうそぶいていた。漢字の国だから「歩兵四六三連隊本部」と書くとまるわかりだけど、「ほヨンろクさんほンぶ」※ とかくと、パッと見分からないというアレ。だが、総務課長に「例規上の穴で禁止できないけど、頼むからやめてくれ」と言われたよ。
まあ、防衛記念章も、勤続十年の赤灯だけをわざと一ツしかつけてなかったし、スコードロンも嫌いなので略帽被っていた。夏の白略帽は格別で、まあどの基地に行っても己しか被っていない。
記念章は「着用することができる」だし、そもそも、賞詞を貰っても、記念章は一切請求していないので付けようがない。帽子に関しては、略帽がむしろ正規なので、何かの行事で統制取る場合でもなければ、スコードロンを被れとはいえない。
なんつーか、軍隊機構にバカバカしさを感じたり、職業軍人への反抗心とかあった。仕事がキツイこともあって、そこら辺は好きにやらせてもらっていた。当時は、普段も10時すぎまで残業、3ヶ月に1週間は1時2時まで残業で、それでいて朝は7時半には登庁しないといけないという状態だった。
今なら、相当量の仕事をスッポかすのだけど、当時は統計みたいなどうでもいいやつだけを除いて、あまりスッポかしはしなかった。そうすれば、体も壊れるもので、仕事がキツくなると喘息が出てきたり、口内炎ができた。アレはストレス反応だったのだろう。
※ 後に、中国人留学生に、漢字を使わず、ひらがなとカタカナ交ぜ書きで書くと、日本の古文書読める専任講師レベルの中国人でもヤッパリ大混乱した。
※※ アレも正規に作らせると高いものなので、転出者のプレートに、厚めの紙にプリンターで白黒反転させたものを製本ボンドで貼って作った。カラーレーザの溶融トナーで作ると艶が出るので、公式行事でもバレない。ちなみにこの時には、紙色が透けないように、紙の裏側からマジックとピグマで、文字部分を除いて黒く塗りつぶすのがコツ。
「昭和30年代に定められた部課のアルファベット標記と略称見直し」というものがあり、NHK方式でリジェクトを食らったことがある。当時、3術校教育技術科で、インストラクター・トレーニング・コースでITCだった。だが、略称だけだと何のことかわからない。
だから、科の改正案としてKGKとして出してやったことがある。何書いて出してもいいということで、半分嫌がらせでのローマ字起源の頭文字として出したのだけれどもね。まあ、本部の偉い人が「真面目にやれ」「そんな略し方はどこにもない」と怒った。
そのオトッツァン(定年前の2佐)は大嫌いだったので「NHKもそうですし、KEK(高エネルギー研究所、しかもEnerugiね)もそうですよ」と口答えしてみると、顔を真赤にする。面白いので「日本海軍もIJNではなくて、KMやLWみたいにKai-Gunとする例もありますね」とか言ってみた。
その時は、副校長だかの「別にそれに変えると決めるわけじゃないから。いいんじゃないの」で終わり。もともと本気で変えようとする話でもない。その後にも、そのとおりになる訳もなく、ITCのままだった。
そう言えば、それとは別のオトッツァンに、名前のネームプレート※ で怒られたこともあった。大概は漢字かローマ字なのだが、面白く無いのでひらがなとカタカナの交ぜ書きにした。「もンたに」みたいな感じ。「いやあ、防衛対象国のスパイにわからないようにね」とうそぶいていた。漢字の国だから「歩兵四六三連隊本部」と書くとまるわかりだけど、「ほヨンろクさんほンぶ」※ とかくと、パッと見分からないというアレ。だが、総務課長に「例規上の穴で禁止できないけど、頼むからやめてくれ」と言われたよ。
まあ、防衛記念章も、勤続十年の赤灯だけをわざと一ツしかつけてなかったし、スコードロンも嫌いなので略帽被っていた。夏の白略帽は格別で、まあどの基地に行っても己しか被っていない。
記念章は「着用することができる」だし、そもそも、賞詞を貰っても、記念章は一切請求していないので付けようがない。帽子に関しては、略帽がむしろ正規なので、何かの行事で統制取る場合でもなければ、スコードロンを被れとはいえない。
なんつーか、軍隊機構にバカバカしさを感じたり、職業軍人への反抗心とかあった。仕事がキツイこともあって、そこら辺は好きにやらせてもらっていた。当時は、普段も10時すぎまで残業、3ヶ月に1週間は1時2時まで残業で、それでいて朝は7時半には登庁しないといけないという状態だった。
今なら、相当量の仕事をスッポかすのだけど、当時は統計みたいなどうでもいいやつだけを除いて、あまりスッポかしはしなかった。そうすれば、体も壊れるもので、仕事がキツくなると喘息が出てきたり、口内炎ができた。アレはストレス反応だったのだろう。
※ 後に、中国人留学生に、漢字を使わず、ひらがなとカタカナ交ぜ書きで書くと、日本の古文書読める専任講師レベルの中国人でもヤッパリ大混乱した。
※※ アレも正規に作らせると高いものなので、転出者のプレートに、厚めの紙にプリンターで白黒反転させたものを製本ボンドで貼って作った。カラーレーザの溶融トナーで作ると艶が出るので、公式行事でもバレない。ちなみにこの時には、紙色が透けないように、紙の裏側からマジックとピグマで、文字部分を除いて黒く塗りつぶすのがコツ。
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18:20
大島
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