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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2014.10
21
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Category : 未分類
 だいたい、夫婦で兵隊をやっていると、おっ母さんの方が先に昇任するケースが高い。

 下総にいた時に、隣科に旦那が空挺のWAVE海曹がいた。昔、カラーガードで広報に行った時に知り合ったとのこと。子どもの世話があるので定時に帰れるようにいつもテキパキと仕事をしていたが、それでも差し出しの弾庫24時間警備等にも出ていた。その時は、陸空挺の亭主が子どもを迎えに行くという。

 官舎は下総。己の官舎の向かいにいたので、たまに官舎地区でも会った。確かそこでの世間話だったが、官舎の手配も管理も海のほうがいいので、海に来たといっていた。奥さん、職域で官舎をチョイチョイできる立場でもあったしね。※

 亭主の話だと、入隊は早いが、現階級は同じで、当時の階級への昇任も同じ。おそらく、次は奥さんに抜かれるだろうというようなことを言っていた。戦闘部隊の海曹よりも、調達業務やってるほうがどうみても早い。手当もあるけど、ボーナスの加給率で奥さんに負けているともね。なんか、髪結の亭主みたいでアレだといった内容を言っていた。

 そのWAVEの上司、隣科の先任一曹も、奥さんは厚木の司令部勤務で曹長だった。

 航空施設隊司令のSさんは、奥さんが空自で先に1空佐になっていた。後に職域課長になった、立川談志似のSさんが、1佐配置の2佐司令での話。車も奥さんは普通車で旦那は軽自動車とか言っていたよ。

 横浜施設局の設備課長は、奥さんがWAVE1期、定年配置で横潜基の総務科長だった。奥さんの定年行事があるという話を聞いたので、横監に来た時に「配偶者だし階級も下なんだから、退職者見送りで花束もって車の前で待っていろ」と課長(20年来の知己だったらしい)以下で半分本気で勧めたら、普段は冗談一つ言わないクソ真面目な人が「この禿頭でそれはないだろう」といっていたよ。実際、延命冠者みたいな趣だったからねえ。

 5級(3佐相当)だから、定年2佐のおかみさんのほうが、まあエライし、なにより影響力がね。一応、行ったあとに、「やっぱ、アッチのほうが偉いわ」といっていた。見送りに300人位並んだんじゃないの。

 下総に戻るが一番変わっていたのが、下総の写真にいた夫婦。奥さんが基地隊管制隊の写真班にサンダル転勤したあとで、後釜が写真班から来た旦那。教育三部は地上救難と警備を除けば海曹と幹部の壁のない職域ばかりだったから、旦那の前で、部長(1佐)以下、「これがホントの夫婦スワッピング」と平気で失礼なことを言っていた。本人は、基地隊司令や部長の「しょうがねえなあ」(調達関係の2年転勤なので、別に怒ってない)というOKもあっての転勤で、本人は感謝する立場なので「エヘヘ」とね。

 この夫婦、職場でもオッ母さんが亭主にガミガミ言っていた。同じ基地にある同じ職域は普段から調整がある。そんときに夫婦同席。普通は他人面するが、この夫婦は亭主に帰り買い物してこいみたいな話をする。でも、安全関係の講話で「天ぷら発火でパニックになったけど消してくれたので亭主惚れなおした」とか、マヌケなことをいっていた。夫婦仲はいいのだろう。

 ちなみに、聴衆は、夫婦とも、そのお面でそれはないだろうという顔をしていた。いや、夫婦ともに十人並みのお面だし、仕事はできるし真面目なんだけど。なんつーか、痩せているけど漫才師的な風采の奥さんと、ヒョロリとして頭髪滅亡寸前で、おっとりした能の蛙みたいな、水死体系の気弱亭主だったからねえ。教育の時はベテランの顔をしていてビシバシだったけど、世間話でお茶飲んでる時にはそんな感じ。

 これも、おそらく亭主は出世で抜かれるなあという夫婦だった。

 まあ、職域にも、同階級の高級幹部がいて、前のあとに奥さんが収まった例もあったけどね。識別は◯◯パパと◯◯ママで、海曹連も普段からそう行っていたし、幹部となると、下のクラスでも本人の面前でそう行っていた。これは奥さんのほうが入隊期は一つ先だけど、昇任では亭主が一馬身リードしていた。

 ママが海幕で、入間だかの官舎(空の余り土地にでも作ったのだろう)に入っていた。旦那は下総の隊長だったので、朝4時に家を出て、16号飛ばして早朝出勤、仕事はいつも見事に早仕舞して終わらせて、あまり残業せずに帰っていたという。

 己も、官舎が決まるまで、川越の家まで日帰りとかしていたが、あれは相当にキツかった。朝はいいが、帰りがね。大島田呼塚のあと、あまり流れない車線で、どこまでいっても野田市が続くのがねえ。



※ 官舎の水準は同じなのだが、海は確かに手入れをしている。宿舎用の予算に余裕があると居住中官舎でも風呂釜や更新するし、担当海曹の合言葉も「困ったときの畳返し」で、簡単にできるサッシ交換や畳交換、フローリング改修の類で予算を完全消化していた。対して陸は、余り手入れしていない様子だった。仙台の官舎に入ったのだが、昭和40年代官舎でも、設備更新はほとんどやっていない。勝手に床補強をするため、畳をひっくり返すと、周恩来が日本にパンダをくれるよみたいな記事があった。ロクロク畳の更新もしていないのだろう。
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