- 2023 . 08 «
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- » 2023 . 10
Category : ミリタリー
戦略論や戦史の類は自然科学ではない。戦略や戦史で得られた理論は、自然科学の法則のような普遍性は持たない。戦略論や戦史の類は社会科学であり、戦争を解りやすく表現したものであり、戦争そのものではない。戦争を表現する上で、価値観によって抽象化の方向性、程度が調節されている。この点を理解せず、観察結果を「自然科学の法則」であるかのように唱えるのは、表現と現実の混同したものだ。
「着上陸はある」と信じたい人々は、戦略論や戦史が社会科学であることを理解せず、その理論を援用する。戦略論や戦史の理論から、日本への着上陸は可能であると主張するのである。これは、自然科学と社会科学の差を弁えない、戦争の現実と戦争の表現を混同したための誤りである。
「着上陸はある」と信じたい人々は、戦略論や戦史の類からのイイトコどりにより、日本への着上陸があると言い張る。戦略論の類から引っ張ってきた「集中」や「奇襲」により日本の海空軍力は無効化されると主張している。また、戦史の類から都合よい観察だけを見つけて「経済的依存の否定」を声高に叫ぶ。日本の経済的ポテンシャルや、周辺国の貿易依存についても、戦争抑止の要因とはならないとも主張している。そして、それが今の日本と周辺国の関係で適用可能かどうかを一切考えない。戦略論や戦史の類を、自然科学の法則であると勘違いし、無誤謬であると堅く信じている。しかし、彼らがありがたがる戦略論や戦史の「理論」は、自然科学の法則ではない。社会科学による擬制である。今の日本と周辺国の関係では、あまりにも日本が強力すぎるという現実がある。その現実の前にしては、いくら「理論」を振り回したところで、着上陸は否定されるのである。
「集中」を頼りしても、周辺国は日本本土への着上陸を行うことはできない。周辺国が空軍力を集中したところで、日本本土の海岸線で制空権を確保し続けることはできない。周辺国の空軍戦力を見れば、日本本土周辺では、大規模な航空作戦はできない。仮に、中国を見てもこのことは明らかである。中国の戦闘機のうち、日本本土を作戦範囲に収めることができる飛行機はSu-27ファミリーだけで約200機。かろうじて航続半径に入るだろうJ-10、約120機を足しても、約320機に過ぎない。数だけを見ても日本側戦闘機の合計、約350を圧倒することはできない。日本側はJADGEによる要撃管制、またSAMによるカバーもある。対して、中国側は実用AWACSを持たず、空中給油機も少ない。周辺国は、集中したところで、着上陸を可能とするほど長期安定した制空権を確保し続けることはできない。
「奇襲」を頼りしても、周辺国は日本本土への着上陸を行うことはできない。まず、周辺国は秘密の内に上陸船団を用意できない。日本侵攻に必要な戦力や補給物資はどうしても大規模となる。港湾への陸軍、海軍、輸送船、物資集積を隠し通すことはできない。また、出港後に、大規模な上陸船団が日本、あるいは日米の海洋哨戒戦力から隠れたまま日本本土にたどり着くこともできない。日本は実運用数、約60機の固定翼哨戒機を持つ。日本近海は世界最高の配備密度の海洋哨戒網の下にある。「着上陸はある」と信じたい人々は、「演習を繰り返せば」という非現実的な想定を挙げるが、それは不可能である。単純に日本と周辺国の経済規模を考慮すれば、先に周辺国が疲弊する。着上陸を信じる人々は、実例として中東戦争の例を挙げる。しかし、イズラエルとアラブは常に戦争状態であった。普段から国境を挟み睨み合っている。対して、日本と周辺国は国交を結んでおり(台湾、北朝鮮を除く)、友好関係にある(北朝鮮は除く)。しかも、海で隔てられている。周辺国は、奇襲的に日本本土上陸を行うことはできない。
周辺国は、経済的抑止によって、日本と大規模な戦争を起こすことを躊躇する。経済的に密接な関係がある国家同士には、経済的抑止が存在する。例えば、太平洋戦争にしても、経済・資源的な依存のため、日本はアメリカとの戦争を躊躇している。日本が対米戦を決意したのは、対日禁輸措置や資産凍結のあとである。北朝鮮を除き、周辺国の経済は、日米との交易に大きく依存している。例えば、中国のGDPは約5兆ドルであるが、日米との間の輸出入は5000億ドルである。これとは別に日米から中国への投資もある。これらを考慮すれば、日本と事を構えることは難しい。また、周辺国の交易そのものも、海上輸送に依存している。周辺国が日本との戦争を決意した場合、日本、あるいは日米による海上輸送の停止に直面する。日本周辺において、日本と米国の海軍力優位を覆す力は周辺国にはない。中国の例を挙げると、年間輸出入は2兆ドルである。海洋輸送が止まれば、経済が窒息してしまう。周辺国にとって、日本と戦争することは経済的な破滅を意味するのである。
以上が「着上陸はある」と信じたい人々がすがる「集中」や「奇襲」「経済的抑止の否定」の内実である。戦略論や戦史の類をイイトコどりしても、現実の前に否定される。戦略論や戦史の理論が有効である範囲を見誤った以上、彼らの語る着上陸の危険性は空論に過ぎないのである。そもそも、戦略論や戦史は社会科学である。因果関係から得られた理論は、自然科学での法則のような普遍性を持たない。「着上陸はある」と信じたい人々は、まずこの点を理解すべきでだ。戦略論や戦史の類は、戦争の表現形式であり、戦争そのものではない。自然科学と社会科学の差に気づかずに、戦略論や戦史の理論をふりまわし、世界の真実であるかのように吹聴するのは滑稽の極みである。
「着上陸はある」と信じたい人々は、戦略論や戦史が社会科学であることを理解せず、その理論を援用する。戦略論や戦史の理論から、日本への着上陸は可能であると主張するのである。これは、自然科学と社会科学の差を弁えない、戦争の現実と戦争の表現を混同したための誤りである。
「着上陸はある」と信じたい人々は、戦略論や戦史の類からのイイトコどりにより、日本への着上陸があると言い張る。戦略論の類から引っ張ってきた「集中」や「奇襲」により日本の海空軍力は無効化されると主張している。また、戦史の類から都合よい観察だけを見つけて「経済的依存の否定」を声高に叫ぶ。日本の経済的ポテンシャルや、周辺国の貿易依存についても、戦争抑止の要因とはならないとも主張している。そして、それが今の日本と周辺国の関係で適用可能かどうかを一切考えない。戦略論や戦史の類を、自然科学の法則であると勘違いし、無誤謬であると堅く信じている。しかし、彼らがありがたがる戦略論や戦史の「理論」は、自然科学の法則ではない。社会科学による擬制である。今の日本と周辺国の関係では、あまりにも日本が強力すぎるという現実がある。その現実の前にしては、いくら「理論」を振り回したところで、着上陸は否定されるのである。
「集中」を頼りしても、周辺国は日本本土への着上陸を行うことはできない。周辺国が空軍力を集中したところで、日本本土の海岸線で制空権を確保し続けることはできない。周辺国の空軍戦力を見れば、日本本土周辺では、大規模な航空作戦はできない。仮に、中国を見てもこのことは明らかである。中国の戦闘機のうち、日本本土を作戦範囲に収めることができる飛行機はSu-27ファミリーだけで約200機。かろうじて航続半径に入るだろうJ-10、約120機を足しても、約320機に過ぎない。数だけを見ても日本側戦闘機の合計、約350を圧倒することはできない。日本側はJADGEによる要撃管制、またSAMによるカバーもある。対して、中国側は実用AWACSを持たず、空中給油機も少ない。周辺国は、集中したところで、着上陸を可能とするほど長期安定した制空権を確保し続けることはできない。
「奇襲」を頼りしても、周辺国は日本本土への着上陸を行うことはできない。まず、周辺国は秘密の内に上陸船団を用意できない。日本侵攻に必要な戦力や補給物資はどうしても大規模となる。港湾への陸軍、海軍、輸送船、物資集積を隠し通すことはできない。また、出港後に、大規模な上陸船団が日本、あるいは日米の海洋哨戒戦力から隠れたまま日本本土にたどり着くこともできない。日本は実運用数、約60機の固定翼哨戒機を持つ。日本近海は世界最高の配備密度の海洋哨戒網の下にある。「着上陸はある」と信じたい人々は、「演習を繰り返せば」という非現実的な想定を挙げるが、それは不可能である。単純に日本と周辺国の経済規模を考慮すれば、先に周辺国が疲弊する。着上陸を信じる人々は、実例として中東戦争の例を挙げる。しかし、イズラエルとアラブは常に戦争状態であった。普段から国境を挟み睨み合っている。対して、日本と周辺国は国交を結んでおり(台湾、北朝鮮を除く)、友好関係にある(北朝鮮は除く)。しかも、海で隔てられている。周辺国は、奇襲的に日本本土上陸を行うことはできない。
周辺国は、経済的抑止によって、日本と大規模な戦争を起こすことを躊躇する。経済的に密接な関係がある国家同士には、経済的抑止が存在する。例えば、太平洋戦争にしても、経済・資源的な依存のため、日本はアメリカとの戦争を躊躇している。日本が対米戦を決意したのは、対日禁輸措置や資産凍結のあとである。北朝鮮を除き、周辺国の経済は、日米との交易に大きく依存している。例えば、中国のGDPは約5兆ドルであるが、日米との間の輸出入は5000億ドルである。これとは別に日米から中国への投資もある。これらを考慮すれば、日本と事を構えることは難しい。また、周辺国の交易そのものも、海上輸送に依存している。周辺国が日本との戦争を決意した場合、日本、あるいは日米による海上輸送の停止に直面する。日本周辺において、日本と米国の海軍力優位を覆す力は周辺国にはない。中国の例を挙げると、年間輸出入は2兆ドルである。海洋輸送が止まれば、経済が窒息してしまう。周辺国にとって、日本と戦争することは経済的な破滅を意味するのである。
以上が「着上陸はある」と信じたい人々がすがる「集中」や「奇襲」「経済的抑止の否定」の内実である。戦略論や戦史の類をイイトコどりしても、現実の前に否定される。戦略論や戦史の理論が有効である範囲を見誤った以上、彼らの語る着上陸の危険性は空論に過ぎないのである。そもそも、戦略論や戦史は社会科学である。因果関係から得られた理論は、自然科学での法則のような普遍性を持たない。「着上陸はある」と信じたい人々は、まずこの点を理解すべきでだ。戦略論や戦史の類は、戦争の表現形式であり、戦争そのものではない。自然科学と社会科学の差に気づかずに、戦略論や戦史の理論をふりまわし、世界の真実であるかのように吹聴するのは滑稽の極みである。
スポンサーサイト
Trackback
Comment