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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
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2011.02
17
CM:2
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21:59
Category : 映画
 週末に封切りとなる韓国映画『戦火の中へ』 なのだが。 この予告編だと、ブローニングA4あたりで『独立機関銃隊いまだ射撃中』、『独立重機関銃隊』、あるいは『独立ギガン砲中隊』という形になるのかね。


http://www.youtube.com/watch?v=8CEQ9yqBrt8&feature=player_detailpage

 それはともかく。『戦火の中へ』 だが、予告編で見る限り、どうも国vs国の、国家同士の戦争をしているようにしか見えない。字幕の問題があるかもしれないが『戦火の中へ』 では、韓国側の兵隊も、学徒兵も、また北朝鮮軍も、半島以外の異民族を敵として戦っているように見える。学徒も「韓国のために戦う」イメージである。

 しかし、当時の半島の人々にとって、朝鮮戦争は国家同士の戦争ではない。少なくとも『戦火の中へ』で取り上げた1950年夏の段階では「韓国vs北朝鮮」の国家同士の戦争という認識は少なかったはずである。朝鮮半島研究の泰斗、ブルース・カミングスは、朝鮮戦争は内戦の延長と主張している。『戦火の中へ』予告編では、「祖国」という言葉が出てくる。だか、当時、祖国=韓国ではない。学徒にとっては、祖国は韓国ではなく「朝鮮」であるはずだ。祖国が「韓国」であるとする認識は、停戦以降の話である。この点で、朝鮮戦争から内戦風味を抜いた『戦火の中へ』は、今の時代の眼で当時を見た映画であるように見える。

 特に、気になる点は、学徒兵が「北の奴らを殺すためだろ!」(予告編0分40秒頃)と叫ぶところである。果たして、1950年代夏にそこまで北を、同じ民族の同胞を憎むことができたのだろうか。もちろん、予告編だけしか観ていないので、見当はずれかもしれない。例えば、戦争前に、迫害によって北から逃げてきたキリスト教徒や小資本家であるのかもしれない。ただ、そこまで直截に叫ぶことに(実際に、当時を体験した韓国人に聞くしかないが)違和感がある。



 まあ、朝鮮戦争には、同一民族での争いという側面が強い。映画としては、やはり最初のうちは「同じ朝鮮民族じゃないか」とかあるべきではないのかなあ。戦後の日本の映画でも、新兵さんは人間性が残っている。それが、殺したり、殺されたりで人間性を失うような描写になっている。果たして、いきなり憎めるものなのかねえ。
 映画としては、戦闘が終わって、傷者回収の折に、北の将校さんにもなにか、良いことを言わせてもいいんじゃないかねとも思うよ。作劇術上、北の将校さんを完全な悪役にしなければならないのであれば、無理なのかもしれないが。

 なんにせよ、映画本編を見ないと始まらないわけなので、週末にでも観に行こうかという話です。
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Comment

非公開コメント

No title

本編見てから批評すべきではないでしょうか?
そもそも予告編は本編の中から派手で見栄えするシーンを切り貼りして作るものです。
見た人間の視聴意欲を高めるために。
でも、決して本編全てを教えるためのものではありませんから。
今回の記事は、ブログの内容だけではなく、同人誌を買って読んでから批評しろと主張していた、もんたにさんらしくない非常に軽率な内容と思えます。

Re: No title

もちろん予告編ですからね。そうだと思いますよ。
だから、週末に観に行く予定です。

でもね、他の紹介記事とか読んでも、どーも「今の韓国人の眼で、昔の朝鮮半島を見ているんじゃないかな」と思うのですよね。ドキュメンタリーではないから、それで映画の価値が下がるわけでもないですけどね。