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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
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2011.04
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19:27
Category : 旧ソ連
 旧ソ連軍には、まともな渡洋侵攻・敵前上陸能力は保有していない。旧ソ連が保有した両用戦能力は、規模も質も限定されており、敵前渡河を拡大した程度に過ぎない。当時のDIA『ソ連とワルシャワ条約国の両用戦』(1984年 米部内向け資料 英文 Unclassfy)を見ても、ソ連両用戦戦力は大規模な渡洋侵攻や敵前上陸は難しいことを示している。『ソ連とワルシャワ条約国の両用戦』では、1967年から83年までに実施された東側の両用戦演習が提示されている。だが、提示中で最大規模の1981年に実施された演習でも、旧ソ連両用戦能力は限定された段階であったことが分かる。

 旧ソ連が実施できる両用戦は、規模として大きなものではない。1981年に実施された演習でも、参加兵力は艦艇100隻、戦車等100両、兵員6000人である。この演習では、不足する両用戦艦艇を北海艦隊と太平洋艦隊から回航・増援しているが、それでも6000人程度しか揚げることができていない。この6000名のうち、戦闘部隊は連隊×1と大隊×1、人数にすれば2000~3000人である。。

 両用戦の水準も、それほど高度なものでもない。1981年の演習では、上陸部隊は航空偵察を受けるが、航空攻撃は受けないことになっている。上陸部隊を直接護衛する戦力として潜水艦を使う不見識もある。対機雷戦部隊は83年演習まで登場しない。しかも航空掃海ではなく、掃海艇による掃海である。太平洋戦争での日米の戦いからすれば、そうとう甘い環境を想定している。

 旧ソ連にとって、両用戦とは渡河作戦であって、渡洋侵攻ではない。演習の中でなによりも奇妙であることは、上陸海岸の近くに味方地上部隊が存在する点である。ヘリの運用やLCMへの移乗は、既に味方部隊が占領した海岸や、その地先で実施されている。これは旧ソ連にとって両用戦とは、最終的には味方地上部隊と連絡をする発想であるということだ。旧ソ連にとって両用戦部隊とは、海岸沿いに侵攻する地上部隊を助けるため、海から先行し、港や橋のような重要地域を占領する手段である。概念的にはデサントであり、味方地上部隊の侵攻経路上に、先行して空挺部隊等を降下させるものである。技術的にも、それほど遠くない距離にある本隊(地上部隊)をあてにしている。水を渡るといっても、前提は渡河作戦であって、渡洋侵攻ではないのである。

 『ソ連とワルシャワ条約国の両用戦』には、ソ連海軍歩兵の運用想定についての記載もある。北海では、ノルウェー北部等での上陸作戦、黒海ではボスポラス海峡強襲を挙げているが、極東では防禦に用いられるだろうとしている。これは防備が希薄なノルウェー北部や、旧ソ連が圧倒的優勢であった黒海側からのボスポラス海峡には積極的に両用戦を実施できるが、日米が優勢であり、補給もままならない極東・太平洋方面では守勢しかとれないという見通しの裏返しである。

 旧ソ連には本格的な渡洋侵攻能力はない。両用戦とはいうものの、基本的には渡河作戦の延長に過ぎない。70年代半ば以降、世界的なソ連脅威論があり、その日本版としてソ連軍による日本侵攻の可能性も論議されていた。だが、旧ソ連の両用戦戦力や手法は、日本に攻め込める水準には達していなかったのである。その後のロシアにも日本を侵攻する能力はない。ロシアの戦力はソ連絶頂期の戦力には到底及ばない。守る側の日本にしても、80年代以降、防衛力は急速に強化されている。ロシアは、日本本土に上陸するどころか、日本側海空戦力排除することもままならないのである。

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