- 2022 . 12 «
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
- » 2023 . 02
Category : 未分類
岩波ホールで『真珠のボタン』(2015)と『光のノスタルジア』(2010)を見てきました。チリ映画です。2本だてですが、内容が絶対混ざると思ったので2日に分けて見ています。
内容は、いわく言いがたい。退屈ではあるがつまらないわけではない。ドキュメンタリーであるが、動画についての作画術のような部分もある。なんというか、純文学でドキュメンタリーを混ぜたようなものとでも形容すべきですかね。
■ 順番がある
順番は『光のノスタルジア』をみてから『真珠のボタン』なのでしょう。逆に見ても別に困るものでもありませんし、実際に逆に見たのですが、監督の興味分野や問題意識の展開からすればそうです。
『光のノスタルジア』のテーマは、アタカマ砂漠でのピノチェト政権による強制収容と虐殺、遺体の隠蔽。その遺骨を探すおっ母さんたちと、天文台での宇宙探索を並べて提示しようとするものです。遺骨と、カルシウムのスペクトル吸収線の捜索を並列して示す意図があります。
対して、『真珠のボタン』はパタゴニアでの先住民虐殺と、ピノチェト政権下での虐殺死体の海中投棄を重ねあわせています。死体が浮かばないようにレールをつけて沈めるのですが、30年を経過してもレールに衣服のボタンがついている。そして最初の原住民サンプルをを連れ去るとき、ボタンで買収したことを並べるものです。
ただ、我々が見なれたドキュメンタリーではない。事件の伝達であれば、岩波でも前に書いた『オレンジと太陽』や『おじいさんと草原の小学校』のようなドラマ仕立ての方が優れているでしょう。
事実の伝達と同時に美しい絵を撮ることに努力している。それがグズマン監督の持ち味なのでしょう。でも最初の30分はキツイものです。肝心のおっ母さんや、先住民族の人たちの話行動は興味をそそられるものの、同時に退屈という不思議なものです。
■ 日本について考えさせられるもの
ただ、考えさせられる部分はあります。これは対象がぼんやりしており、鑑賞者に考えさせる部分が大きいためでしょう。つまらない映画ではあるものの、考えさせられる映画でもあるわけです。
まずピノチェト政権の大罪についてはチリでは今でも追求があり「なかった説」は誰も口にできない。国内的に政権の評価は真っ二つに割れていても、その非人道的な取り扱いや虐殺はなかったとか、数が少ないから罪も軽いといった話はない。
これが日本だと外国との関係なので無責任に発言できる。「国際法的に問題ない」とか「虐殺はなかった」「人数は少ないから罪は軽い」と言い出す。これが国内問題ならそうは言えないわけです。
もう一つは、アレな政治勢力が政権を取るとロクなことにならないこと。反共を理由に反体制派を強制収容してバンバン殺す。これはチリ軍事政権だけではなく、韓国軍政時代もそう。しかも、体制の存在理由として「アメリカに従うこと」を掲げるので、経済的にもロクなことにはならない。
そして、現政権はアレな雰囲気で相当似ている。勝手な危機意識で人権や自由、民主主義的価値観を軽んじる点。そして、ここ20年で明らかに失敗とされた新自由主義的経済政策に今更になって突き進めばアメリカの歓心を得られると考えている。この点でメンタリティー的にはピノチェトに相当似ているのでしょう。まったく永続敗戦論的な状況としか言いようはないものです。
まあ、待ち時間に岩波過去上映作の展示をみたのですけど、ここ15年はほぼ全部をみてますね。学生時代は飛び飛びで見ていましたが、就職してからはほとんど見ている。スゲー面白いは『山の郵便配達』やイヌイット映画『氷海の伝説』、『胡同の理髪師』、『イラン式料理本』最近だと『ワレサ 連帯の男』ですね。まずハズレばかりですが、たまに大アタリはあるのでいいものです。
内容は、いわく言いがたい。退屈ではあるがつまらないわけではない。ドキュメンタリーであるが、動画についての作画術のような部分もある。なんというか、純文学でドキュメンタリーを混ぜたようなものとでも形容すべきですかね。
■ 順番がある
順番は『光のノスタルジア』をみてから『真珠のボタン』なのでしょう。逆に見ても別に困るものでもありませんし、実際に逆に見たのですが、監督の興味分野や問題意識の展開からすればそうです。
『光のノスタルジア』のテーマは、アタカマ砂漠でのピノチェト政権による強制収容と虐殺、遺体の隠蔽。その遺骨を探すおっ母さんたちと、天文台での宇宙探索を並べて提示しようとするものです。遺骨と、カルシウムのスペクトル吸収線の捜索を並列して示す意図があります。
対して、『真珠のボタン』はパタゴニアでの先住民虐殺と、ピノチェト政権下での虐殺死体の海中投棄を重ねあわせています。死体が浮かばないようにレールをつけて沈めるのですが、30年を経過してもレールに衣服のボタンがついている。そして最初の原住民サンプルをを連れ去るとき、ボタンで買収したことを並べるものです。
ただ、我々が見なれたドキュメンタリーではない。事件の伝達であれば、岩波でも前に書いた『オレンジと太陽』や『おじいさんと草原の小学校』のようなドラマ仕立ての方が優れているでしょう。
事実の伝達と同時に美しい絵を撮ることに努力している。それがグズマン監督の持ち味なのでしょう。でも最初の30分はキツイものです。肝心のおっ母さんや、先住民族の人たちの話行動は興味をそそられるものの、同時に退屈という不思議なものです。
■ 日本について考えさせられるもの
ただ、考えさせられる部分はあります。これは対象がぼんやりしており、鑑賞者に考えさせる部分が大きいためでしょう。つまらない映画ではあるものの、考えさせられる映画でもあるわけです。
まずピノチェト政権の大罪についてはチリでは今でも追求があり「なかった説」は誰も口にできない。国内的に政権の評価は真っ二つに割れていても、その非人道的な取り扱いや虐殺はなかったとか、数が少ないから罪も軽いといった話はない。
これが日本だと外国との関係なので無責任に発言できる。「国際法的に問題ない」とか「虐殺はなかった」「人数は少ないから罪は軽い」と言い出す。これが国内問題ならそうは言えないわけです。
もう一つは、アレな政治勢力が政権を取るとロクなことにならないこと。反共を理由に反体制派を強制収容してバンバン殺す。これはチリ軍事政権だけではなく、韓国軍政時代もそう。しかも、体制の存在理由として「アメリカに従うこと」を掲げるので、経済的にもロクなことにはならない。
そして、現政権はアレな雰囲気で相当似ている。勝手な危機意識で人権や自由、民主主義的価値観を軽んじる点。そして、ここ20年で明らかに失敗とされた新自由主義的経済政策に今更になって突き進めばアメリカの歓心を得られると考えている。この点でメンタリティー的にはピノチェトに相当似ているのでしょう。まったく永続敗戦論的な状況としか言いようはないものです。
まあ、待ち時間に岩波過去上映作の展示をみたのですけど、ここ15年はほぼ全部をみてますね。学生時代は飛び飛びで見ていましたが、就職してからはほとんど見ている。スゲー面白いは『山の郵便配達』やイヌイット映画『氷海の伝説』、『胡同の理髪師』、『イラン式料理本』最近だと『ワレサ 連帯の男』ですね。まずハズレばかりですが、たまに大アタリはあるのでいいものです。
スポンサーサイト
Trackback
Comment