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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

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2011.06
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Category : ミリタリー
 機雷戦は有力な海軍作戦である。機雷は海上輸送を阻害し、船舶を撃沈破し、対機雷戦を強要させる有力な手段である。英独機雷戦は第一次、第二次世界大戦で熾烈を極めた。太平洋戦争でも、米国の対日攻勢機雷戦も大戦果を挙げ、日本を屈服させる要素となった。

 日本にとっても機雷戦は有力な手段である。まず考えにくいことであるが、仮に日本が周辺国に戦争を仕掛けられても、日本は機雷戦によって周辺国が必須とする海上輸送を阻害させることができる。『攻勢機雷戦という方法もある』で示したように、周辺国は、海上輸送に依存する割にはまともな対機雷戦戦力をもっていない。日本が攻勢機雷戦を実施した場合、周辺国は対日戦を断念しなければならない事態となるだろう。

 公海は機雷で封鎖できる。公海への機雷敷設と封鎖には前例がある。公海そのものへの機雷敷設は、第一次、第二次世界大戦でも実施されている。日米独英ソは、公海に機雷を敷設し、海上輸送や海軍作戦を阻害した。また、ベトナム戦争でも米国は北ベトナムを機雷で海上封鎖している。

 ベトナム戦争での機雷封鎖は、公海機雷封鎖は合法であることを再確認するものとなった。ソ連はタス通信を通じて「公海使用の自由」から公海への機雷封鎖を非難したが、それ以上の行動は取らなかった。公海での機雷敷設は、第一次、第二次世界大戦でも実施されていたためである。

 北ベトナム沿岸への機雷敷設は、機雷封鎖を実施する上での手続きの前例ともなった。1972年、米国大統領であったニクソンは北ベトナム沿岸を封鎖する旨を宣言した。ニクソンはテレビとラジオによって海上封鎖を宣言し、そののちに外交関係に通告している。具体的にニクソンが宣言した事項は次の3つである。
(1)北ベトナム諸港の封鎖(1972年5月9日9時付:サイゴン時間)
(2)機雷が動作開始する日時(5月11日18時以降:サイゴン時間)
(3)北ベトナム諸港から出航する場合の安全保証(9・10・11日の昼間)

 仮に日本が機雷封鎖を行う上でも、北ベトナムで行った封鎖手続きを踏襲すればよい。封鎖する範囲と開始する日時、機雷が動作を開始する日時、既に入港している第三国艦船への出港安全保証である。海上封鎖は国際法上合法である。その手続きも前例を踏襲することにより、合規性も担保される。



※ 米軍はハイフォン港に約3000個、北ベトナム沿岸では合計約8000個を敷設した。結果、ベトナムは海上輸送を閉ざされた。海上輸送が途絶した結果、ベトナムは輸入量(援助量)にして85%減となった(残り15%は鉄道輸送による)。海上封鎖によって、北ベトナムはパリ和平会談で米国との交渉に応じた。これにより、米国にとってのベトナム戦争は終了した。
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