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- » 2023 . 03
Category : 未分類
沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎであった。 内地は本土決戦を行い最後の一人まで戦うといった。その準備のため、沖縄に時間を稼いでくれと頼んだ。
そして沖縄県民に戦闘協力を強要した。当時の内地人からすれば、沖縄県民は日本人の仲間としては一品下るとみていた。植民地人に毛の生えた程度、一.五等市民扱いであった。* その沖縄県民に「君たちも日本国民である、大和民族である」と戦闘協力を強要した。そして戦闘被害や戦後軍政の苦渋を舐めさせた。
だが、内地は本土決戦しなかった。掌を返すように米国との和平を決めた。供犠として学徒中心の特攻隊や軍艦大和や県知事を送っただけだ。
復帰後の沖縄援助は「捨て石」とした、やましさの現れだ。だから沖縄開発には予算を注ぎ込んだ。建設土木、教育、税制、イベントといったものだ。返還後の沖縄海洋博はそれだし、今でもガソリン税が安いのもそれだ。
■ 歴史を知らない「捨て石」否定
だが、若い人はこのような事情を知らない。普天間・辺野古問題で沖縄の悪口を言うようになったのはそれだ。カルトがくっついている反・反基地運動に引っかかるあたりは事情を知らないことこの上ないものだ。
そして、客観性は揺るがない「捨て石」を否認する主張である。AKIRAさんの発言がそれだ。
■ 当の戦死者も「捨て石」だと考える
そもそも、この種の言動は戦死者の利用でしかない。少数の志願者を除き、あとは引っ張られた連中である。
もし、本人たちに事後の状況を説明すれば「馬鹿らしい」といっただろう。
沖縄戦は決定的となった敗北受容を拒否し、先送りするものでしかなかったからだ。
日本は降伏するしかない状況である。戦前の日本指導部の戦争観では本土空襲を継続的にうけることはない、つまり継続的に受ける状況なら講和であた。また、比島戦以降は侵攻を押しとどめることはできないとも判断されている。
既に和平努力も始まっている。もともと43年のカイロ宣言の段階で外務省は「無条件降伏もアリ」と判断している。無条件降伏で日本が降服できること、領土範囲として日清戦争以前が保全されることを見抜いたためだ。さらに沖縄戦の時期にはアレン・ダレスと加瀬俊一の交渉も始まっているからだ。
そして、内地は最後に無条件降伏し、陸戦を回避している。
この状況において「沖縄は捨て石」ではなかったといえるだろうか?
どういいつくろっても「捨て石」は認めざるを得ない。
■ 都合よく戦死者を利用
さらに戦死者を利用するのも嫌らしい。
AKIRAさんは戦死者を都合よく使っている。自分の主張の補強にしていることがそれだ。戦死が如何に価値があったかのように述べている。当時の言い方なら悠久の大義、最近なら「日本を守るため」であり、上記では「沖縄を守るため」(AKIRA)と言っている。
その上、説教に転じている。「沖縄戦の全兵士を侮辱した。」(AKIRA)といったものだ。
■ 「侮辱した」と述べる権利があるのだろうか?
だが、AKIRAさんが「侮辱した」と言う権利はあるのだろうか?
主張者は沖縄戦に従軍したわけでもない。当然ながら戦死したわけではない。おそらくは兵隊に行ったこともない。ネット戦士でしかないからだ。
それを参加者の如く「沖縄戦は無駄ではない、戦死者も無駄ではない」と獅子吼している。
もちろん沖縄戦に参加した御仁ならそれもいいだろう。戦争でエライ目にあったからだ。その主張はともかく、大変でしたね位は思うものだ。
だが、戦争に参加してもいないネット聖戦士がそれを言うのは不思議なものだ。「あなたは兵隊に取られて、戦争に行ったのですか?」といった質問しか浮かばない。もちろん、質問の回答は知っているのだが。
* ウチはもとはブラジル移民で昭和17年5月に日本に帰ってきた。そこそこ成り上がった様子だが戦争では農園等を処分して、時刻表トリックでも使ったのか開戦後に日本にもどったのだが。
その時のことについて「かわいそうだけど沖縄人はおいてきた」と言った。祖父母は10年前に百歳近くで死んだが、米軍の臨検うけたといった話の中に自然に「日本人はみんな連れてきた、沖縄人はかわいそうだけとおいてきた」といっていた。日本人の範疇に沖縄人が含まれないことにはショックを受けた。
そして沖縄県民に戦闘協力を強要した。当時の内地人からすれば、沖縄県民は日本人の仲間としては一品下るとみていた。植民地人に毛の生えた程度、一.五等市民扱いであった。* その沖縄県民に「君たちも日本国民である、大和民族である」と戦闘協力を強要した。そして戦闘被害や戦後軍政の苦渋を舐めさせた。
だが、内地は本土決戦しなかった。掌を返すように米国との和平を決めた。供犠として学徒中心の特攻隊や軍艦大和や県知事を送っただけだ。
復帰後の沖縄援助は「捨て石」とした、やましさの現れだ。だから沖縄開発には予算を注ぎ込んだ。建設土木、教育、税制、イベントといったものだ。返還後の沖縄海洋博はそれだし、今でもガソリン税が安いのもそれだ。
■ 歴史を知らない「捨て石」否定
だが、若い人はこのような事情を知らない。普天間・辺野古問題で沖縄の悪口を言うようになったのはそれだ。カルトがくっついている反・反基地運動に引っかかるあたりは事情を知らないことこの上ないものだ。
そして、客観性は揺るがない「捨て石」を否認する主張である。AKIRAさんの発言がそれだ。
AKIRA @5ken6
#報ステ は沖縄を「本土防衛の捨て石にされた」と断定しているが、沖縄を守るために何人の兵士が沖縄に動員され、何人が戦死したか言ってみろ。全兵士は沖縄を守るために戦った。それは沖縄が「日本」だからだ。軽く「捨て石」など言えないんだよ。沖縄戦の全兵士を侮辱した。
#沖縄慰霊の日
6:52 - 2017年6月23日
https://twitter.com/5ken6/status/878249396500013057
■ 当の戦死者も「捨て石」だと考える
そもそも、この種の言動は戦死者の利用でしかない。少数の志願者を除き、あとは引っ張られた連中である。
もし、本人たちに事後の状況を説明すれば「馬鹿らしい」といっただろう。
沖縄戦は決定的となった敗北受容を拒否し、先送りするものでしかなかったからだ。
日本は降伏するしかない状況である。戦前の日本指導部の戦争観では本土空襲を継続的にうけることはない、つまり継続的に受ける状況なら講和であた。また、比島戦以降は侵攻を押しとどめることはできないとも判断されている。
既に和平努力も始まっている。もともと43年のカイロ宣言の段階で外務省は「無条件降伏もアリ」と判断している。無条件降伏で日本が降服できること、領土範囲として日清戦争以前が保全されることを見抜いたためだ。さらに沖縄戦の時期にはアレン・ダレスと加瀬俊一の交渉も始まっているからだ。
そして、内地は最後に無条件降伏し、陸戦を回避している。
この状況において「沖縄は捨て石」ではなかったといえるだろうか?
どういいつくろっても「捨て石」は認めざるを得ない。
■ 都合よく戦死者を利用
さらに戦死者を利用するのも嫌らしい。
AKIRAさんは戦死者を都合よく使っている。自分の主張の補強にしていることがそれだ。戦死が如何に価値があったかのように述べている。当時の言い方なら悠久の大義、最近なら「日本を守るため」であり、上記では「沖縄を守るため」(AKIRA)と言っている。
その上、説教に転じている。「沖縄戦の全兵士を侮辱した。」(AKIRA)といったものだ。
■ 「侮辱した」と述べる権利があるのだろうか?
だが、AKIRAさんが「侮辱した」と言う権利はあるのだろうか?
主張者は沖縄戦に従軍したわけでもない。当然ながら戦死したわけではない。おそらくは兵隊に行ったこともない。ネット戦士でしかないからだ。
それを参加者の如く「沖縄戦は無駄ではない、戦死者も無駄ではない」と獅子吼している。
もちろん沖縄戦に参加した御仁ならそれもいいだろう。戦争でエライ目にあったからだ。その主張はともかく、大変でしたね位は思うものだ。
だが、戦争に参加してもいないネット聖戦士がそれを言うのは不思議なものだ。「あなたは兵隊に取られて、戦争に行ったのですか?」といった質問しか浮かばない。もちろん、質問の回答は知っているのだが。
* ウチはもとはブラジル移民で昭和17年5月に日本に帰ってきた。そこそこ成り上がった様子だが戦争では農園等を処分して、時刻表トリックでも使ったのか開戦後に日本にもどったのだが。
その時のことについて「かわいそうだけど沖縄人はおいてきた」と言った。祖父母は10年前に百歳近くで死んだが、米軍の臨検うけたといった話の中に自然に「日本人はみんな連れてきた、沖縄人はかわいそうだけとおいてきた」といっていた。日本人の範疇に沖縄人が含まれないことにはショックを受けた。
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Comment
No title
02:18
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その情勢判断のもとに八原参謀の立てた持久作戦を実行してますし
No title
03:14
岩見浩造
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私が学生の頃も「今は流石に無くなってきたが」と教師が言ってました。
勿論、今時のネトウヨ風味な左翼の陰謀がどうのこうのではなく、
ただ単に劣等人種だからみたいな感覚で、そっちの方が余程始末に困ると今でも思います。
うちの祖母も朝鮮人のことを植民地感覚でナチュラルに列島人種扱いしてました。
そういえば、dragoner氏は身バレ済みなのですが、
彼の先祖は麻薬を売り歩いてた有名な大陸浪人で、やはり戦中に早々引き上げたそうですね。
まぁ個人の人格は独立してるとは言え、彼の物言いを見ている限り、
先祖について悪いものは悪いとちゃんと教えとかないとああなっちゃうんでしょうね。
No title
03:31
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なんか
08:48
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>「捨て石」とした、やましさが復帰後の沖縄援助であった。だから沖縄開発には予算を注ぎ込んだ。建設土木、教育、税制上、イベントといったものだ。返還後の沖縄海洋博はそれだし、今でもガソリン税が安いのもそれだ。
09:01
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戦時中の日本を理想社会だとして美化しすぎなんですよねえ
09:20
きらきら星
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だと思い込みたいんですかね。
自分の心の拠り所として戦時の軍隊にすがりつくなんざ、はっきり言って低脳。
No title
15:12
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自分たちが「捨て石予備軍」だと思いつかないことね
お上にゴマすってりゃ逃げられるってもんじゃないんだよ
17:38
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戦史を知らないネトウヨ
22:15
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32軍参謀八原大佐は、離島である沖縄は結局は守り切れないが米軍の上陸兵力を6~10個師団と推定して沖縄本島南部で持久するためには少なくとも6個が必要と算定してましたが、大本営は台湾防備のために1個師団を引き抜いて増援は出来ないと通告。
その結果沖縄本島の戦力は2個師団+1個旅団+αだけとなる羽目に。
しかも、沖縄戦直前に人事異動がおこなわれて、師団長連隊長などが一部交代するというありさまで現地に不慣れな指揮官が指揮を執るということに。
大本営の真意がどこにあったのか分かろうものですけどね。
No title
07:45
岩見浩造
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町と言う街は焼き払われるし、住民も何のかんのと動員されて一緒に磨り潰される。
北部に避難して一生を得た県民も万単位で存在していますが、
6個師団あれば南部の住民も皆安全な場所に避難出来るかと言えばそうじゃないでしょう。
当時の日本軍の運用の仕方、軍律のあり方が根本的に問題ですから。
物理的には米軍を圧倒する新鋭戦闘機を数千機配備して漸く地上への危険を排除できるレベル。
19:21
おひさま
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要は、沖縄に「特権」を与えていると言いたいんでしょ?
そういうステレオタイプの批判ってあるよね。必ず「不平等」と言うんだよな。
でも、右の人達の政治信条からすれば、不平等でも良いんでないの?
情は大切、恩は大切、仁義は大切といえば、不平等でOKなんだもの。
というか、心情で政治をしてしまうのが右の醍醐味であって、それを認めなかったら思想的に美味しいところがなくなっちゃうよね。
そのへんが、日本の右と左が捻れてる不思議なところ。右と称してる人は、実は国家社会主義なんだな。
No title
21:22
きらきら星
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結局本土のゼネコンが元請けになってガッポリ東京が回収するじゃないですか。
借地料で左団扇な大地主だって、沖縄じゃなくて本土の一等地に住んでいるんでしょ。
本当に地元沖縄に落ちるお金って、沖縄特権とやらの内、はたして何割なんでしょう?
No title
15:00
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上で何度も名前が出ている八原博通大佐が捕虜となって生還したことをもってボロクソに貶し(そもそも戦訓伝達のための脱出を命じられていたにもかかわらず)、40年近く経って亡くなってもなお白眼視し続けた陸軍幹部連中と同類のバカとしか言いようがない。
>沖縄問題が今後、部落問題や在日韓国朝鮮人問題と同じような展開をたどる
自分の作戦が沖縄一般民衆を地獄に道連れにした責任を感じた八原大佐が、戦後二度と沖縄の地を踏まなかった(「踏めなかった」部分も大きいのだろうが)ことや、大田海軍中将の例の訣別電文の内容を考え併せると、もうホントに発想がクソ。
No title
15:13
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