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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

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2018.02
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Category : 未分類
 図書館で金沢正夫さんの海軍報道部長談話を拾ってきた。39年5月7日の『朝日新聞』*1 に掲載されていたが相当に威勢のいいことを言っている。

今となっては、成都に限らず、何処へ遁入して見たところで、我が海軍航空隊の優秀なる爆撃部隊の能力を考えて見れば判る筈であるが、もはや如何にしても我が空襲は免れやうがなく、四百余州広しと雖も蒋の身を置くべきところなしといふ実情である。敵が一歩後退すれば、我が航空部隊の基地は二歩前進するといふことも考へて見ねばなるまい。
「蒋、今や隠れ家もなし全支我海鷲の制圧下 海軍報道部長談」


 これは39年5月4・5日の空襲後に出されたものだ。楊天石先生の「日机大轟及其対蒋介石的”斬首行動”」*2 によれば死亡5400余人、受傷3100人である。重慶爆撃で生じた死者の1/3が発生した空襲である。

 空襲について楊天石先生は『蒋介石日記』当日条から次の通り紹介している。
民众遭此苦痛仍无一句怨恨抗战之言,思之更难 自安,对此无知纯洁之同胞,其行动虽多难约束,然 而其神情之可爱,使余铭感无涯,遭此惨残不能忍受 之艰难,惟见此更增余乐观与勇气矣。
『蒋介石日記』5月5日条を「日机大轟及其対蒋介石的”斬首行動”」p.62から孫引き


 注目すべきは冒頭である。空襲の苦痛にあっても民衆は抗戦[日本帝国主義との戦い]を批判しなかった部分だ。つまり蒋介石の認識としては空襲では抗日戦での国民戦意は揺るがないと見ていたということである。

 その意味でも重慶爆撃はあまり意味はなかった。仮に蒋介石を殺害できても抗日戦意は萎えない。むしろ国府は従前以上に共産党と協力して日本と戦っただろう。


*1 「蒋、今や隠れ家もなし全支我海鷲の制圧下 海軍報道部長談」『朝日新聞』1939年5月7日朝刊 (東京,朝日新聞,1939)pp.3

*2 楊天石「日机大轟及其対蒋介石的”斬首行動”」『世紀』(上海市文史研究館,2016.2)pp.61-67
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No title

> その意味でも重慶爆撃はあまり意味はなかった。仮に蒋介石を殺害できても抗日戦意は萎えない。むしろ国府は従前以上に共産党と協力して日本と戦っただろう。

もし蒋介石が重慶爆撃で死んでいたら、誰が国府の指導者になっていたでしょうかねえ。息子の蒋経国かな?

No title

 ベトナム社会主義共和国や大日本帝国に見られるように空襲の恐怖と被害は案外国民の継戦意欲を奪えないものだよという話を読んだことがありますが、南京爆撃下の中華民国でも同じだったのですねえ。

Re: No title

防火や救援等があれば挫けないみたいですね。それが期待できなくなるとやる気もなくなるみたいな話が米戦略爆撃調査団報告にあったと思います。

>  ベトナム社会主義共和国や大日本帝国に見られるように空襲の恐怖と被害は案外国民の継戦意欲を奪えないものだよという話を読んだことがありますが、南京爆撃下の中華民国でも同じだったのですねえ。

No title

> 防火や救援等があれば挫けないみたいですね。それが期待できなくなるとやる気もなくなるみたいな話が米戦略爆撃調査団報告にあったと思います。

水島朝穂・大前治「検証 防空法 空襲下で禁じられた避難」を以前読んだのですが、太平洋戦争中の空襲対策って、非科学的で精神論に傾いたお寒いものでした。そりゃ多数の死傷者が出ますがな。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20170503/1493804521

http://osakanet.web.fc2.com/bokuho/kensyo.html

No title

廬山談話の時点から、中国側の意識としては本土決戦であって、重慶爆撃で初めて中国側民間人に多大な犠牲者が出たわけではないというのも日本との違いではないでしょうか。華北一帯や首都南京、武漢三鎮を取られ、その過程で軍民に夥しい犠牲を出しながらも、蒋介石を指導者とする中国側の戦時体制は揺るがなかったのですし。戦況を見ても1938年以降日本は直接中国奥地を叩くことができず手詰まりになる一方で、徐々に国際的孤立を深めていくというのは、1945年当時日本が置かれた全く見込みの無い状況とは違うとも言えるかと。