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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2020.07
08
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22:49
Category : 未分類
  ふと思い浮かんだのだけれども60年代東南アジアのフラフラ感って日本占領と米国不占領のせいではないかね。

① 日本が戦争で東南アジア地区を占領した
 1 英蘭を追い出して仏印で仏のメンツを潰した
 2 日本にとって都合のよい限りにおいてナショナリズムを涵養した
   ついでに地元勢力に軍事訓練を施した
 3 日本の収奪により左派・民族主義を刺激した

② 東南アジアは弱体化した英蘭仏が再び支配した
 1 現地人は日本に負けた英蘭仏をそれほど怖がらなくなっている
 2 日本支配時に涵養された民族主義者や土豪勢力は英蘭仏と戦い独立しようとした
 3 同じく日本支配時に涵養された左派・農民・労働者勢力も植民地主義と戦おうとした

③ そのため米国の保護は及ばななかった、つまり各国独立後にまともに面倒を見る国がない状態となった
 1 英国はマラヤ共産党を抑えたのが限界であとはなにもできない
   香港は中国と妥協した
   スエズを失った
   シンガポールのコントロールもできなくなった
 2 蘭は東南アジアにほぼ影響力を及ぼせなくなった
 3 仏は完全に影響力を失った

④ 結果、新中国やソ連の影響力に敏感に反応する地域となってしまった
 1 新中国成立により各国共産党は勢いづいた
 2 中国の核実験成功によりインドやオーストラリア、ニュージランドを含む旧英植民地は不安を抱えた
 3 英国のシンガポール、アデン撤退とソ連のインド洋展開による影響

⑤ 地域が安定するのは米国の影響力が及んで以降
  ベトナム戦争関連で米軍事力が地域に及ぶと途端に安定の方向に進んだ
 1 米軍のタイ進駐、シンガポール寄港、ドミノ理論対策としての各国への関与
 2 米に協力しての豪新のベトナム派兵、そしてANZUS体制の確立
 3 米国関与の下で英豪新馬星とオマケとしてのブルネイも含めた五カ国防衛取極成立
   多分、ここには核の傘の提供の含意もあるはず


 ちなみに、インドも似たようなもの。絶対的支配者の英国がいなくなるとやっぱり困る
 例えば中国核実験にビビってインドは英国に核の傘を求めている。

 ついでにいえばそれ読んだ時に、時のインド首相の名前はLal Bahadur Shastriで、ランバ・ラルのラルだと思った

 また当時にはマウントバッテンが参謀総長やっててアジアで英国の能力を超えるような施策を進めようとしているあたり
 やっぱ舐めてかかっている感がねえ、南アジア、東南アジア政策では総督のつもりなんだろうね
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No title

マラヤ共産党対策としての戦略村なんて、統治者心理そのものですからね。感情的な側面は日本語文献としてはあまり伝わってないようですが、良い物じゃないのでは。

本国で二級市民扱いされたアイルランド人に爆殺された上、黙示碌でカーツ大佐に皮肉られたのも当然ですね。70年代の英国は本当にガタガタ。

どうですかね

中東情勢が、blog主様のお話の東南アジア情勢の比でない不安定さ、という事例もありまして。

というか、イスラエルの連立政権編成のゴタゴタ見るに、日本は何でこんなに安定を求めるんだろう、と。
戦争を厭わない国家のああいう政権交代の様子からすれば、日本なんぞそれこそ毎日政権交代やったって国家それ自体は安泰だろう。

余所者の限界

お邪魔します。
 アメリカはアフガンで旧ソ連と戦わせるためにウサマ・ビンラディンに軍事訓練を施しましたが、ウサマ・ビンラディンはその後アルカイダを結成してアメリカに牙を剥きました。またイラク戦争で独裁者サダム・フセインを排除しましたが、排除後のイラクは部族や宗派のバトルロワイヤル状態と化し、原理主義過激派がイスラム国を作る余地を与えてしまいました。日本もアメリカも「最後まで面倒を見ない・見られない、責任を取らない・取れない」という「余所者の限界」が露呈したのではないかと思われます。それをしようとすれば中国を征服した満州族がしたように「本拠地を移す」しかないでしょうが、それをした満州族は次第に中国に同化していき、固有の文化等が失われていきました。余談ですが豊臣秀吉も明を征服した暁には天皇を中国に移す事も考えていたようですが、「明で百万石やるぞ」と言った部下に「日本で一万石下さい。」と言われたとか。
 後「一旦変わってしまうと、変わる前の事は案外分からなくなる。」「自分がそうであると、他人もそうであるに違いないと思いがちである。」事もあるのではないかとも思ったりもします。一旦曲がりなりにも近代ナショナリズムを獲得してしまうと、それ以前の人間の考え方や感じ方とかはそうかも知れませんし、「ナショナリズムを見に付ければ団結するに違いない」と思って与えたら、それが分裂の種をもう一つ増やす結果になったのかも。