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- » 2023 . 03
Category : 未分類
コミケがない夏なんて22年ぶり。89年に初めて行って93年からサークルずっと参加している。93年以降に行かないのは98年だけ。
で、ハゼ釣りでも行こうかと思ったけど酷暑でねえ。40度とか聞くと怖くていかない
あとは最近は昔の釣り場近くの駐車場がなくなった。一つは東京水泳競技場で隣が止め放題だけどアノにくいオリンピックで潰された。もう一つは貯木場のところ、そこは駐車場どころか各種の設備も使い放題だったが今はタダの倉庫群になっちゃったからねえ。
さらに東京湾だと護岸アクセスは完全封鎖された。だから釣りが難しくなった。
仕方ないから家の中で物干し竿の改修やってる。
今までは物干し1本だった。シャワーブースと洗濯機置場の隣に洗濯物を干す専用の6畳間を作ったのだけど、今までは1間半のの物干し1本だった。だからたまに干しきらないときがあったし、完全な干しっぱなし保管も難しかった。猿股やTシャツを干したままにして着るときに収穫はたまに破綻した。
だからそれを3本にする。特に1本は天井高いっぱいにして幅手150センチの夏用掛け布団を折らないで吊るし干しできるようにしようと画策している。現状は片付けと採寸が終わったところ。
あとは吊戸棚かね。今は台所の壁の片側だけが吊戸棚になっているけど背が低いもんでやや使いにくい。だから反対側に昇降式の吊戸棚つけようかとね。アレも部品として買うと安いし施工もそんな難しくないのでまあできるでしょう。
まあ「夏コミに行かない八月」も変な感じなもんだよ。夏コミ原稿を作らない8月だとさらに伸びて28年ぶり。
98年のときは夏は遠洋航海で己は参加できなかった。まあ申込みはしておいて「かしま」の中で同人作って版下の形にしてFEDEXで日本に送って頼んでコピー本にして売ったけどね。
以降は全部出ている。夏冬は自衛隊は休暇期間中でむしろ調整しやすい。
夏は8月13日が3日目だと15日に当直立つよ、15日なら16日と18日立つよというとコミケ前10日は休みにできる。
冬は正月1日・3日当直、31日と2日当直とかにすればやっぱその前は10連休だしね。
八戸の施設班長だったときには除雪班の線表自体をコミケにあわせて作っていた。で、3冬とも除雪1班長やってたけど、1月1日から10日間くらいを除雪1・3班にしといて臨時に3班長を代行してた。そもそも休暇期間中以外は123班長とも実質全部己で雪降ったら夜から翌朝の最初の飛行まで全部詰めていたので誰も何も言わないし。むしろ正月3が日が除雪直なしで幹部には感謝されてた。
99年?の冬は31日当直士官、1日除雪当直士官、2日当直士官兼ねて除雪当直士官、3日以降も除雪当直士官だったはず。相当の上司が「連チャンで大丈夫かね、紅白でも見てるかね」と31日の夜に食い物もってきてくれたけど、そのときは基地隊会議室のプロジェクタでドリームキャストのパンツァーフロントやっているのをみて呆れられた。
でもねえ、「お前は何やってんだよ」の後でもじっと見てる。そして「オレにもやらせろで」コントローラを持つと離さない、そして「どこで売ってる?」で正月1日に買ってきて特訓したらしく2日に来て「上手くなっただろう」だったよ。
あの頃の当直(5人くらいいた)は人も多いし緊急対応と日課関連やってりゃあとは何でもいいよで、みんな当直の中で交代でワッチしているとき以外は本読んだりDVD見ていたりしてた。多分、規則上はホントはいけないはずだけど仮眠室で即時対応の構え(制服上衣を外した状態で横になって寝てる)昼寝したりするのもいた。
すごいのはプラモ作ったやつと彫金で指輪つくってたやつと篆刻で印章つくってたやつね。全部別人だけど。
確かプラモを作ったその日の当直であいだを見て事務所にもどると今後は施設の保安当直(夜とか休日の職場待機直)が私有車にロールバーはめ込んでいた。ちなみに塩ビパイプでつくったなんちゃってロールバーで朝から頑張って作ったそうだった。
保安当直みていると鉄砲で撃ってきたウリ坊を処理して半割にして鍋作るとか、交代前に朝市で鮭とか烏賊買ってきて紐の作るとか、「お祭りが近いから」と1日中格納庫(昔のF-86F用)で横笛の練習をしていたこともあった。後者だと保安当直の海曹本人だけではなく、別部隊の当直とまったく関係ない技官の海曹の伯父さんも一緒で「今年は表祭りでしかもウチの組がメインでオレ肝煎だから」とかいってピーヒャラやってた。
あの頃は「仕事ができればいいよ」だったし、しかも彼らは腕がよくてごくたまの実働は階級以上の仕事もした。だからホントに違法なことやらない限りはほっといた。おすそわけも結構もらえた。
で、ハゼ釣りでも行こうかと思ったけど酷暑でねえ。40度とか聞くと怖くていかない
あとは最近は昔の釣り場近くの駐車場がなくなった。一つは東京水泳競技場で隣が止め放題だけどアノにくいオリンピックで潰された。もう一つは貯木場のところ、そこは駐車場どころか各種の設備も使い放題だったが今はタダの倉庫群になっちゃったからねえ。
さらに東京湾だと護岸アクセスは完全封鎖された。だから釣りが難しくなった。
仕方ないから家の中で物干し竿の改修やってる。
今までは物干し1本だった。シャワーブースと洗濯機置場の隣に洗濯物を干す専用の6畳間を作ったのだけど、今までは1間半のの物干し1本だった。だからたまに干しきらないときがあったし、完全な干しっぱなし保管も難しかった。猿股やTシャツを干したままにして着るときに収穫はたまに破綻した。
だからそれを3本にする。特に1本は天井高いっぱいにして幅手150センチの夏用掛け布団を折らないで吊るし干しできるようにしようと画策している。現状は片付けと採寸が終わったところ。
あとは吊戸棚かね。今は台所の壁の片側だけが吊戸棚になっているけど背が低いもんでやや使いにくい。だから反対側に昇降式の吊戸棚つけようかとね。アレも部品として買うと安いし施工もそんな難しくないのでまあできるでしょう。
まあ「夏コミに行かない八月」も変な感じなもんだよ。夏コミ原稿を作らない8月だとさらに伸びて28年ぶり。
98年のときは夏は遠洋航海で己は参加できなかった。まあ申込みはしておいて「かしま」の中で同人作って版下の形にしてFEDEXで日本に送って頼んでコピー本にして売ったけどね。
以降は全部出ている。夏冬は自衛隊は休暇期間中でむしろ調整しやすい。
夏は8月13日が3日目だと15日に当直立つよ、15日なら16日と18日立つよというとコミケ前10日は休みにできる。
冬は正月1日・3日当直、31日と2日当直とかにすればやっぱその前は10連休だしね。
八戸の施設班長だったときには除雪班の線表自体をコミケにあわせて作っていた。で、3冬とも除雪1班長やってたけど、1月1日から10日間くらいを除雪1・3班にしといて臨時に3班長を代行してた。そもそも休暇期間中以外は123班長とも実質全部己で雪降ったら夜から翌朝の最初の飛行まで全部詰めていたので誰も何も言わないし。むしろ正月3が日が除雪直なしで幹部には感謝されてた。
99年?の冬は31日当直士官、1日除雪当直士官、2日当直士官兼ねて除雪当直士官、3日以降も除雪当直士官だったはず。相当の上司が「連チャンで大丈夫かね、紅白でも見てるかね」と31日の夜に食い物もってきてくれたけど、そのときは基地隊会議室のプロジェクタでドリームキャストのパンツァーフロントやっているのをみて呆れられた。
でもねえ、「お前は何やってんだよ」の後でもじっと見てる。そして「オレにもやらせろで」コントローラを持つと離さない、そして「どこで売ってる?」で正月1日に買ってきて特訓したらしく2日に来て「上手くなっただろう」だったよ。
あの頃の当直(5人くらいいた)は人も多いし緊急対応と日課関連やってりゃあとは何でもいいよで、みんな当直の中で交代でワッチしているとき以外は本読んだりDVD見ていたりしてた。多分、規則上はホントはいけないはずだけど仮眠室で即時対応の構え(制服上衣を外した状態で横になって寝てる)昼寝したりするのもいた。
すごいのはプラモ作ったやつと彫金で指輪つくってたやつと篆刻で印章つくってたやつね。全部別人だけど。
確かプラモを作ったその日の当直であいだを見て事務所にもどると今後は施設の保安当直(夜とか休日の職場待機直)が私有車にロールバーはめ込んでいた。ちなみに塩ビパイプでつくったなんちゃってロールバーで朝から頑張って作ったそうだった。
保安当直みていると鉄砲で撃ってきたウリ坊を処理して半割にして鍋作るとか、交代前に朝市で鮭とか烏賊買ってきて紐の作るとか、「お祭りが近いから」と1日中格納庫(昔のF-86F用)で横笛の練習をしていたこともあった。後者だと保安当直の海曹本人だけではなく、別部隊の当直とまったく関係ない技官の海曹の伯父さんも一緒で「今年は表祭りでしかもウチの組がメインでオレ肝煎だから」とかいってピーヒャラやってた。
あの頃は「仕事ができればいいよ」だったし、しかも彼らは腕がよくてごくたまの実働は階級以上の仕事もした。だからホントに違法なことやらない限りはほっといた。おすそわけも結構もらえた。
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