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Category : 未分類
2011年の3月11日のその時間は理工学部の図書館にいた。ほとんどいかない51号館の1階で建築の雑誌をコピーしていた。
そこで揺れだした。東京は震度5だが結構揺れた。図書館の書架の間にいると危ないと思い構造壁の壁際にうつると多分留学生(当時そう思った)が怯えてホントに立ちすくんでいる。「パニックで落下物がある危ない場所に飛び出すかもね」と思って「大丈夫、大丈夫」といってズボンのベルトに手を突っ込んで構造壁側に引っ張った。今からすれば普通に「こっちこっち」でも良かったと思うけどね。
その後に退館指示と51号館前への集合が指示されてそこで「今日はもう閉館」と言われた。西早稲田の駅に行くと当然ながら入場できずとなっている。「コリャ相当長引くな」と思い、まず池袋に歩いて移動して喫茶店でも入って時間を潰そうとした。
その途中に光通信の社員の非難が邪魔くさいと思ったのを覚えている。道いっぱいに広がって通行の邪魔していやがる。「かの光通信だからな」といった印象をさらに強くした。光通信との前後は忘れたが、「ビックカメラ本社の社員はそういうことはないのにな」ともね。
で、池袋駅にいくとさらに大混雑となっている。さらにある程度は状況がわかってきたので「汽車も動かない」とみて近所の伯父の家、それから5年くらい前に死んだ爺ちゃん婆ちゃんの家に移動した。
池袋から小一時間もかからない距離なのだが、中途に踏切が封鎖状態になっていて渡れない。待ってる人いわく10分も待っているとのことで「そんなの汽車が止まっているからだろ」と左右見て無視して渡った。
伯父の家でTVを見ながら「ここで一晩厄介になって汽車を待とう」と考えていた。なんせ駅前0分の立地、今測っても直線距離で50m、道でも80mちょうどなので鉄道の動きは逐一わかる。「どうしようもなかったら8時間くらい歩いて帰ろう」とか「その時は途中に新座か藤久保の友達の家で自転車でも借りられるか明日に電話してみるか、家からはトラックで返しに行けば」とか考えていた。
そしたら伯母が父に連絡していてくれていた。いまは川越の在でも東京への迎え?で大渋滞となっている。だから深夜にいくとのこと。伯母は「『一晩泊まらせて、明日きたほうが安全なのに』といったのに『明日の日中も大渋滞だろうから日付が変わってから行く』というのよ」といったのを覚えている。
で、深夜1時くらいに父が「道がどうなっているかわからない」とわざわざジムニーのほうで迎えに来た。この調子だとガソリン飢饉だろうと帰りに満タンにして自宅もより駅の駐車場までいき、己はそこから自分の車でやはりガソリン満タンにして帰った。
翌日は汽車は動いたがやはり混乱していた。また車も混んでいたとのこと。前の深夜に車で移動して正解だった。ラジオが通常放送に戻った最初が「ウイークエンドシャッフル」で「人間ナメるな」が出た回だった。
翌々日?から計画停電で汽車も止まっていた。仕方がないのでファミレスで資料読みをしていた。
計画停電の時期には家の真上をC-2グレイハウンドが飛んでいくのをみた。入間の進入表面の真下、横田に南向きで入る際の旋回経路の真下、厚木の飛行場の延長線上なので飛行機はけっこうみる。T-4やC-1、YS-11、C-130、C-17、C-5、昔はC-141なんか真上をしょっちゅう通る。P-3もたまに通過する。でもグレイハウンドを家の近所でみたのは初めてだった。米空母への連絡だったのだろう。
それから、翌日か翌々日に件の発言があった。男の子のような女の子じゃないほうの菊地マコトの「メルトダウンじゃないだす」と、F-35じゃないほうの「フクシマはもう復旧の目途がついた」「メルトダウンなんか起きるわけがない」のアレだ。
普通は察しがつく。「今、何が起きているかはわからない」「でも、報道をみるだけで今まででは考えられなかった事態が起きていることは明らかである」「少なくとも政府が言っているほど安全ではない」ことくらいは感覚的にわかる。
それがわからないあたりは「何も見えてないのだな」とね。
そのあたりで、24時間換気口にエアコンパテを詰めて、料理換気扇もビニールシートで囲い、窓の目張りもやった。内務省防空局の対毒ガス指示に似たようなことが書いてあったのと、どこぞでNBC担当をやっていたときに「本番は増し締めしろ」「隙間からも10mmH20、水頭1センチくらいの圧力で抜けるからガムテはっとけ」といった指示があったから。作業後はすぐにシャワーを浴びた。あとは念の為に官品の雨衣もいつでもつかえるように準備していた。そもそも雨の日は一切出るつもりはなかったけど。
そこで揺れだした。東京は震度5だが結構揺れた。図書館の書架の間にいると危ないと思い構造壁の壁際にうつると多分留学生(当時そう思った)が怯えてホントに立ちすくんでいる。「パニックで落下物がある危ない場所に飛び出すかもね」と思って「大丈夫、大丈夫」といってズボンのベルトに手を突っ込んで構造壁側に引っ張った。今からすれば普通に「こっちこっち」でも良かったと思うけどね。
その後に退館指示と51号館前への集合が指示されてそこで「今日はもう閉館」と言われた。西早稲田の駅に行くと当然ながら入場できずとなっている。「コリャ相当長引くな」と思い、まず池袋に歩いて移動して喫茶店でも入って時間を潰そうとした。
その途中に光通信の社員の非難が邪魔くさいと思ったのを覚えている。道いっぱいに広がって通行の邪魔していやがる。「かの光通信だからな」といった印象をさらに強くした。光通信との前後は忘れたが、「ビックカメラ本社の社員はそういうことはないのにな」ともね。
で、池袋駅にいくとさらに大混雑となっている。さらにある程度は状況がわかってきたので「汽車も動かない」とみて近所の伯父の家、それから5年くらい前に死んだ爺ちゃん婆ちゃんの家に移動した。
池袋から小一時間もかからない距離なのだが、中途に踏切が封鎖状態になっていて渡れない。待ってる人いわく10分も待っているとのことで「そんなの汽車が止まっているからだろ」と左右見て無視して渡った。
伯父の家でTVを見ながら「ここで一晩厄介になって汽車を待とう」と考えていた。なんせ駅前0分の立地、今測っても直線距離で50m、道でも80mちょうどなので鉄道の動きは逐一わかる。「どうしようもなかったら8時間くらい歩いて帰ろう」とか「その時は途中に新座か藤久保の友達の家で自転車でも借りられるか明日に電話してみるか、家からはトラックで返しに行けば」とか考えていた。
そしたら伯母が父に連絡していてくれていた。いまは川越の在でも東京への迎え?で大渋滞となっている。だから深夜にいくとのこと。伯母は「『一晩泊まらせて、明日きたほうが安全なのに』といったのに『明日の日中も大渋滞だろうから日付が変わってから行く』というのよ」といったのを覚えている。
で、深夜1時くらいに父が「道がどうなっているかわからない」とわざわざジムニーのほうで迎えに来た。この調子だとガソリン飢饉だろうと帰りに満タンにして自宅もより駅の駐車場までいき、己はそこから自分の車でやはりガソリン満タンにして帰った。
翌日は汽車は動いたがやはり混乱していた。また車も混んでいたとのこと。前の深夜に車で移動して正解だった。ラジオが通常放送に戻った最初が「ウイークエンドシャッフル」で「人間ナメるな」が出た回だった。
翌々日?から計画停電で汽車も止まっていた。仕方がないのでファミレスで資料読みをしていた。
計画停電の時期には家の真上をC-2グレイハウンドが飛んでいくのをみた。入間の進入表面の真下、横田に南向きで入る際の旋回経路の真下、厚木の飛行場の延長線上なので飛行機はけっこうみる。T-4やC-1、YS-11、C-130、C-17、C-5、昔はC-141なんか真上をしょっちゅう通る。P-3もたまに通過する。でもグレイハウンドを家の近所でみたのは初めてだった。米空母への連絡だったのだろう。
それから、翌日か翌々日に件の発言があった。男の子のような女の子じゃないほうの菊地マコトの「メルトダウンじゃないだす」と、F-35じゃないほうの「フクシマはもう復旧の目途がついた」「メルトダウンなんか起きるわけがない」のアレだ。
普通は察しがつく。「今、何が起きているかはわからない」「でも、報道をみるだけで今まででは考えられなかった事態が起きていることは明らかである」「少なくとも政府が言っているほど安全ではない」ことくらいは感覚的にわかる。
それがわからないあたりは「何も見えてないのだな」とね。
そのあたりで、24時間換気口にエアコンパテを詰めて、料理換気扇もビニールシートで囲い、窓の目張りもやった。内務省防空局の対毒ガス指示に似たようなことが書いてあったのと、どこぞでNBC担当をやっていたときに「本番は増し締めしろ」「隙間からも10mmH20、水頭1センチくらいの圧力で抜けるからガムテはっとけ」といった指示があったから。作業後はすぐにシャワーを浴びた。あとは念の為に官品の雨衣もいつでもつかえるように準備していた。そもそも雨の日は一切出るつもりはなかったけど。
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No title
18:48
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編集
日曜の内はまだ未確定な話ばっかりと覚えています
No title
14:11
岩見浩造
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私は午後の仕事を休みにして図書館で上尾事件の調べ物をしていました。揺れで閉館の流れは同じです。
上尾事件の資料を見ていたのと、震度4以上だと線路点検で止まるのは知っていたので、鉄道には期待しませんでしたが、駅から追い出したのは驚きましたね。
自宅だと半日かかるが職場だと夕方には着くので、職場で一晩明かしました。TVやネット情報は翌日帰宅して昼寝した後午後に起きるまで、無理でした。