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Category : 未分類
墨東公安委員会さんが萌ミリの一起源について発言されている。エロゲの『TO HEART』の登場人物を佐藤大輔の架空戦記にあてはめる"SaTo Heart" について言及しており「史実も架空戦の設定のネタでしかなく、萌えが他者との差異化に使われているのです。」(墨東公安委員会)としている。
実際にはモットしょぼい。架空戦の設定のネタどころではなく、史実を転用した架空戦争のさらにそこででてくる軍艦名やら発言を『TO HEART』になぞらえた粗雑なものだった。
そして、それは本当に「他者との差異化に使われている」(墨東公安委員会)とでも言うべきだった。
どうやっても面白くはない。それを閉ざされた集団の中で「面白い」と言い合っているだけだったからだ。身内同士で褒めるというよりも「これは面白い」といった集団の雰囲気を肯定することに終始していた。傍から見ると中身のない連中が「自分たちはいかに面白い集団であるか」を誇っている形だ。
■ 違法コピーを配る布教活動
もちろん、それは勝手だ。中身もない連中の自己満足である。今から見ても当時の連中は中身もない。今現在でもない。ただそれはご自由にといったものだ。
しかし、布教活動はどうしようもなかった。
"SaTo Heart" 連には違法コピーを配るマヌケがいたことを覚えている。聖典と称してTO HEARTを布教していた。これも「自分たちは面白い」といった差異化の一種だったのだろう。それはそれで構わない。だが、そこで「ゲームCD-ROMの違法コピーあげます」と公開されているWEB上で自分の名前出してやっているヤツがいた。そしてその過激分子を筆者たちは内々で話題にしていた。自分で見た記憶はあるが20年前なので伝聞だったかもしれない。でもクローズな場所で御仁を内々に馬鹿にしていたことは確かに覚えている。
そのあたりで「連中はそんなもんだろ」と思ったものだ。
それがいまでもね。当時"SaTo Heart"と称してキャフフしていて今になって「萌ミリを批判するな」という連中をみるとねえ。やっぱり質もやはり「そんなものだろ」だ。
■ 小説と現実を区別できない「大サトー」とやらもね
ちなみに"SaTo Heart"の一部は今でも似たようなことをしている。「大サトー」と称し(自分たちでは)大喜利をやっているつもりの連中に一部が流れ込んでいる。
そして、この「大サトー」もね。
佐藤大輔の小説はあくまでも小説である。娯楽を目的とした戯作である。反実仮想をエンターテインメントとしたものだ。その点で高評価をうけており価値を持つ。
だが、大サトーの中には現実社会の正解みたいに捉えている連中が結構いる。そして小説の価値観で現実社会の批判をする。
たいていは価値観も引きづられている。もともと左派嫌いか小説の影響を受けての左派嫌いで味付けした批判をみるとやっぱり品下るものでしかない。
そのアレさ加減はねえ。銀英伝で現実社会を批判するアレとまったくおなじだ。やはりどこかの身体部位の出来は同等なのだろう。
■ (オマケ)なんか執着しているのだよね
なんつーか萌ミリ擁護連の執着をみると「それしかないのか」とね。
佐藤大輔にせよTOHEARTほかにせよそう。小説は面白い。作品として面白い。それはそうだろう。
ただねえ、そこから離れられないのはどうしようもない。「面白い」「ファンである」とこと。そして、そのファンダムとでも言うべき界隈に不愉快な問題がありそれを見つめること。この二つは両立しうるものだ。でも連中はそれができない。
分別盛りとしてそれはどうかなと。
発言を取り上げた墨東公安委員会さんはあたりまえだが分別がある。鉄道オタクである。でも鉄道をとりまく諸情勢を全部肯定しているわけではない。そこにある問題から目はそらさないし批判すべきは批判する。
萌ミリ死守派はそれがない。自分の「好き」や消費活動と世間との折り合いをつけられない。
だからアレ表紙の本でも徹底養護する。「『大東亜共栄圏の実現に邁進する皇軍に奉仕する心正しいビルマ人民』の図だよね」批判にも猛反発する。これは日華事変やりなおしの『ゲート』やそれを募集に使った東京地本への批判への反応でも同じだ。
まず分別ある人間なら「(俺の好みだけど)まあ批判は正しいよね」と受け取る。批判を肯定する。あるいは「肯定したくない」にせよ余計な事は言わない。肯定できるものではないことを承知しているからだ。
でも連中にはそれがない。閉ざされたサークルで「自分たちはいかに面白い集団であるか」を誇る雰囲気に婬していたいわけだ。
■ (オマケのオマケ) 地方文書の翻刻程度でしょ
今回の件でもヨイショ連はねえ。
冊子体裁としての表紙の価値やら同人で売るための努力といったものはさておく。
でも中身が如何に価値があるかを強調しすぎて援護対象の背中を打っているのはまあね。
「もう長いことミリの世界で前大戦に関わったご存命の方々への取材」と書いているけど、始めたのは最近だよねえと。
これは却って迷惑なのではないかね。擁護対象はチョット以前は流行ったミリメシに乗っかって派生型としての「社会主義グルメ」やってた。社会主義の時代の食事なのに肉とか豊富につかう今の料理を紹介している実際は「資本主義 化 グルメ」ではないかとかなんでロシア人設定がドイツの料理を紹介するのとか逆にマルクス主義の擬人化ならドイツ人じゃないといけないのではないかといった、婉曲にいえば不思議な内容だったのを覚えている。それ以前も社会主義の軍隊紹介をやっていた。例によって女の子が鉄砲担ぐアレだった。その前はドイツ騎士団の本を作っていた。
もちろんテーマの右往左往はそれは悪いとは言わない。
実際に己の記事も五目猟だ。テーマはしょっちゅう変わる。そこら編に落ちているもので食えそうなものは何でも拾い食いしている。
でも、そういうスタイルの御仁に「長いこと研究を」と過剰にヨイショすると褒め殺しにしかならないのではないかね。
あとは「貴重な歴史の断片」「この人がいなかったら失われていくだけだった歴史がどれだけあるのか…無知って怖いですね。」(松田)もそう。
言っちゃ悪いけど戦争従事者の聞き取りって地方文書の翻刻と同じなんだよねえ。江戸時代の農村の名主がくずし字で書いた日記を活字にして公表するのと変わらない。
それを「貴重な歴史の断片」「失われていくだけだった歴史」(松田)とかモノスゴイことのように言われても擁護対象は困るだけだと思うよ。
墨東公安委員会@bokukoui
長々書いてきましたが、私の考えでは、今回の表紙騒動の原因を考えるには、佐藤大輔から "SaTo Heart" を経た、極めてコアな「オタク」のサブジャンルの系譜を追うことが必要ではないか、ということです。そこでは史実も架空戦の設定のネタでしかなく、萌えが他者との差異化に使われているのです。
https://twitter.com/bokukoui/status/1432368034019225602
実際にはモットしょぼい。架空戦の設定のネタどころではなく、史実を転用した架空戦争のさらにそこででてくる軍艦名やら発言を『TO HEART』になぞらえた粗雑なものだった。
そして、それは本当に「他者との差異化に使われている」(墨東公安委員会)とでも言うべきだった。
どうやっても面白くはない。それを閉ざされた集団の中で「面白い」と言い合っているだけだったからだ。身内同士で褒めるというよりも「これは面白い」といった集団の雰囲気を肯定することに終始していた。傍から見ると中身のない連中が「自分たちはいかに面白い集団であるか」を誇っている形だ。
■ 違法コピーを配る布教活動
もちろん、それは勝手だ。中身もない連中の自己満足である。今から見ても当時の連中は中身もない。今現在でもない。ただそれはご自由にといったものだ。
しかし、布教活動はどうしようもなかった。
"SaTo Heart" 連には違法コピーを配るマヌケがいたことを覚えている。聖典と称してTO HEARTを布教していた。これも「自分たちは面白い」といった差異化の一種だったのだろう。それはそれで構わない。だが、そこで「ゲームCD-ROMの違法コピーあげます」と公開されているWEB上で自分の名前出してやっているヤツがいた。そしてその過激分子を筆者たちは内々で話題にしていた。自分で見た記憶はあるが20年前なので伝聞だったかもしれない。でもクローズな場所で御仁を内々に馬鹿にしていたことは確かに覚えている。
そのあたりで「連中はそんなもんだろ」と思ったものだ。
それがいまでもね。当時"SaTo Heart"と称してキャフフしていて今になって「萌ミリを批判するな」という連中をみるとねえ。やっぱり質もやはり「そんなものだろ」だ。
■ 小説と現実を区別できない「大サトー」とやらもね
ちなみに"SaTo Heart"の一部は今でも似たようなことをしている。「大サトー」と称し(自分たちでは)大喜利をやっているつもりの連中に一部が流れ込んでいる。
そして、この「大サトー」もね。
佐藤大輔の小説はあくまでも小説である。娯楽を目的とした戯作である。反実仮想をエンターテインメントとしたものだ。その点で高評価をうけており価値を持つ。
だが、大サトーの中には現実社会の正解みたいに捉えている連中が結構いる。そして小説の価値観で現実社会の批判をする。
たいていは価値観も引きづられている。もともと左派嫌いか小説の影響を受けての左派嫌いで味付けした批判をみるとやっぱり品下るものでしかない。
そのアレさ加減はねえ。銀英伝で現実社会を批判するアレとまったくおなじだ。やはりどこかの身体部位の出来は同等なのだろう。
■ (オマケ)なんか執着しているのだよね
なんつーか萌ミリ擁護連の執着をみると「それしかないのか」とね。
佐藤大輔にせよTOHEARTほかにせよそう。小説は面白い。作品として面白い。それはそうだろう。
ただねえ、そこから離れられないのはどうしようもない。「面白い」「ファンである」とこと。そして、そのファンダムとでも言うべき界隈に不愉快な問題がありそれを見つめること。この二つは両立しうるものだ。でも連中はそれができない。
分別盛りとしてそれはどうかなと。
発言を取り上げた墨東公安委員会さんはあたりまえだが分別がある。鉄道オタクである。でも鉄道をとりまく諸情勢を全部肯定しているわけではない。そこにある問題から目はそらさないし批判すべきは批判する。
萌ミリ死守派はそれがない。自分の「好き」や消費活動と世間との折り合いをつけられない。
だからアレ表紙の本でも徹底養護する。「『大東亜共栄圏の実現に邁進する皇軍に奉仕する心正しいビルマ人民』の図だよね」批判にも猛反発する。これは日華事変やりなおしの『ゲート』やそれを募集に使った東京地本への批判への反応でも同じだ。
まず分別ある人間なら「(俺の好みだけど)まあ批判は正しいよね」と受け取る。批判を肯定する。あるいは「肯定したくない」にせよ余計な事は言わない。肯定できるものではないことを承知しているからだ。
でも連中にはそれがない。閉ざされたサークルで「自分たちはいかに面白い集団であるか」を誇る雰囲気に婬していたいわけだ。
■ (オマケのオマケ) 地方文書の翻刻程度でしょ
今回の件でもヨイショ連はねえ。
冊子体裁としての表紙の価値やら同人で売るための努力といったものはさておく。
でも中身が如何に価値があるかを強調しすぎて援護対象の背中を打っているのはまあね。
松田未来 9/13「夜光雲のサリッサ」第7巻発売です!@macchiMC72
内田先生はもう長いことミリの世界で前大戦に関わったご存命の方々への取材を続けて貴重な歴史の断片をまとめて来た方です。
この人がいなかったら失われていくだけだった歴史がどれだけあるのか…無知って怖いですね。
https://twitter.com/macchiMC72/status/1430330223426379777
「もう長いことミリの世界で前大戦に関わったご存命の方々への取材」と書いているけど、始めたのは最近だよねえと。
これは却って迷惑なのではないかね。擁護対象はチョット以前は流行ったミリメシに乗っかって派生型としての「社会主義グルメ」やってた。社会主義の時代の食事なのに肉とか豊富につかう今の料理を紹介している実際は「資本主義 化 グルメ」ではないかとかなんでロシア人設定がドイツの料理を紹介するのとか逆にマルクス主義の擬人化ならドイツ人じゃないといけないのではないかといった、婉曲にいえば不思議な内容だったのを覚えている。それ以前も社会主義の軍隊紹介をやっていた。例によって女の子が鉄砲担ぐアレだった。その前はドイツ騎士団の本を作っていた。
もちろんテーマの右往左往はそれは悪いとは言わない。
実際に己の記事も五目猟だ。テーマはしょっちゅう変わる。そこら編に落ちているもので食えそうなものは何でも拾い食いしている。
でも、そういうスタイルの御仁に「長いこと研究を」と過剰にヨイショすると褒め殺しにしかならないのではないかね。
あとは「貴重な歴史の断片」「この人がいなかったら失われていくだけだった歴史がどれだけあるのか…無知って怖いですね。」(松田)もそう。
言っちゃ悪いけど戦争従事者の聞き取りって地方文書の翻刻と同じなんだよねえ。江戸時代の農村の名主がくずし字で書いた日記を活字にして公表するのと変わらない。
それを「貴重な歴史の断片」「失われていくだけだった歴史」(松田)とかモノスゴイことのように言われても擁護対象は困るだけだと思うよ。
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21:47
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>銀英伝で現実社会を批判するアレ
これでリベラルならまだしも、良くて憂国騎士団ポジなのに、
ヤン・ウェンリー側に立ってると思ってるから凄い。
15:13
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