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- » 2023 . 03
Category : 未分類
警察予備隊はなぜ三八式と四四式を使わなかったのか。
弾薬を国民党に全部くれたせいもあるかもしれない。国民党が東京のGHQに6.5ミリJAPをありったけくれといった。そしてGHQはおそらくは全部くれてやった。だから6.5ミリは在庫払底で警察予備隊ほかに渡せなかったあたりではないか。
家だと一つのことに集中できない。だから喫茶店かファミレスに行く。今日はインター近くのロイホで修行した。今後の予定の確認と原稿の種だしと昔買った本の読み直しと中文資料を読んでいた。
本は選書メチエの『代官の生活』でもう18年も前に買ったやつ。当時、1回ほど読んで本棚放り込んだままで18年ぶりに読み返した。
■ 戦後の日式装備部隊
そのあと、やはり貯めておいた『抗日戦争研究』を読んだのだ。
そこで「国民党が戦後に日本の機甲戦力を導入」みたいな話を発見した。ただ、これは読み間違いで正確にいえば「日本の武器を導入した部隊を作った」話だった。「抗戦勝利后国民党軍日械部隊研究」で「機械」ではなく「械」で「械闘」の言葉からすれば「からくり」というよりは武器のニュアンス。
戦争集結から暫くの間、国民党は日本兵器への装備更新を進めていた。
国民党は戦争が終わったので装備貧弱であった陸軍の整編と装備充実を進めようとした。戦争末期に定めた1945年2月の三十四年編制や戦後の1946年に定めた三十五年編制への改変である。
ただ、制式武器は足りなかった。国産兵器の供給力は低い上、レントリース停止で米式兵器が入ってこなくなっておりドイツ式も米国式装備の部隊は作れなかった。そこで大量に捕獲した日本兵器で部隊の改変を図ったのである。
結果、半分以上の師が日式装備となった。日本は大陸に大量の武器を持ち込んでいた。それが降伏で国民党に引き渡された。大陸と台湾とインドシナ北部の日軍降伏により国民党は戦争終結時に持っていた武器と同じかそれ以上の数の日本製武器を手に入れた。
参謀総長だった陳誠の見積もりだと140ヶ師の装備が充当できる数であった。重装備も持った本格的な師、おそらくは整編後の師団級となった師を40ヶ、軽装備の師であれば100ヶ程度を作れる数である。
■ 6.5ミリは暫定配備のつもり
そのため日式弾薬の生産もはじめている。同様に日式武器に依存していた共産党側の生産が有名だが国民党側も弾薬は作っていた。
それでも「流石に6.5ミリJAPの生産設備を作るのはねえ」となったらしい。
これは民国の小銃は中正-漢陽とモーゼル系で7.92ミリである影響もある。
当然ながら6.5ミリ系は古く物足りなくもみえたのだろう。当時は中国人の方が格段に体格はよい。反動が少ないのは威力が少ないようにも感じられる。大陸で使うには射程もやや短い。馬の殺傷にも向かない問題がある。
また、九九式小銃や九九軽機には残す価値も合った。銃身改削で7.92ミリにできたからである。中正式まあ乱暴に言えば民国版Kar-98製造の3割のコストで99式小銃は7.92ミリに改修できた。
小銃弾は将来も使う99式向けの7.7ミリJAPに絞りそれを改造まで供給する。当座のあいだ日式小銃、軽機、重機のあてればよいとした。
■ GHQにおねがい
でも、日式装備を部隊に配備すると6.5ミリが不足する。日本捕獲小銃は13万丁だが数は三八/四四式の方が多い。8万丁と99式小銃の5万丁の倍近くあったから当然である。
そこで国民党は東京のGHQに「6.5ミリJAPをくれ」と要求した。
そして在庫をもらった様子である。記事では「モウ生産設備がないので」となったとあるが、ある限りの在庫は貰えたとも読みうる。
これが警察予備隊に三八式が出てこなかった理由の一つではないかね。弾がないから交付できなった。逆に九九式は30-06が使えたから「とりあえず使え」で渡せた。そのあたりではないかね。
■ 馬も5万頭ほど欲しい
ちなみに1947年以降の国民党は米式武器を貰えるようになったので日式武器なかでも小火器への依存度は下がったらしい。
ただ、重装備は以前として日式だよりであった。
それに関連して国民党軍には「曳く馬がない」問題も生じていた。どうも日本製の野砲以上を曳く場合には西洋馬と交配を進めた日本軍用馬が要る。中国馬ではうまくいかない様子である。
だから「日本に『戦後賠償で馬5万頭寄越せと言え』」との主張もあった。記事には後方組織の聯勤がその案を出したともある
ちなみに、その場合にはこんどは馬糧の問題が生じることになる。日本馬は丈夫で病気もしないのだが大柄すぎて大食らいでもある。兵隊3ー4人分は食べるので国民党軍にとっては補給が厄介となる問題もあったらしい。
弾薬を国民党に全部くれたせいもあるかもしれない。国民党が東京のGHQに6.5ミリJAPをありったけくれといった。そしてGHQはおそらくは全部くれてやった。だから6.5ミリは在庫払底で警察予備隊ほかに渡せなかったあたりではないか。
家だと一つのことに集中できない。だから喫茶店かファミレスに行く。今日はインター近くのロイホで修行した。今後の予定の確認と原稿の種だしと昔買った本の読み直しと中文資料を読んでいた。
本は選書メチエの『代官の生活』でもう18年も前に買ったやつ。当時、1回ほど読んで本棚放り込んだままで18年ぶりに読み返した。
■ 戦後の日式装備部隊
そのあと、やはり貯めておいた『抗日戦争研究』を読んだのだ。
そこで「国民党が戦後に日本の機甲戦力を導入」みたいな話を発見した。ただ、これは読み間違いで正確にいえば「日本の武器を導入した部隊を作った」話だった。「抗戦勝利后国民党軍日械部隊研究」で「機械」ではなく「械」で「械闘」の言葉からすれば「からくり」というよりは武器のニュアンス。
戦争集結から暫くの間、国民党は日本兵器への装備更新を進めていた。
国民党は戦争が終わったので装備貧弱であった陸軍の整編と装備充実を進めようとした。戦争末期に定めた1945年2月の三十四年編制や戦後の1946年に定めた三十五年編制への改変である。
ただ、制式武器は足りなかった。国産兵器の供給力は低い上、レントリース停止で米式兵器が入ってこなくなっておりドイツ式も米国式装備の部隊は作れなかった。そこで大量に捕獲した日本兵器で部隊の改変を図ったのである。
結果、半分以上の師が日式装備となった。日本は大陸に大量の武器を持ち込んでいた。それが降伏で国民党に引き渡された。大陸と台湾とインドシナ北部の日軍降伏により国民党は戦争終結時に持っていた武器と同じかそれ以上の数の日本製武器を手に入れた。
参謀総長だった陳誠の見積もりだと140ヶ師の装備が充当できる数であった。重装備も持った本格的な師、おそらくは整編後の師団級となった師を40ヶ、軽装備の師であれば100ヶ程度を作れる数である。
■ 6.5ミリは暫定配備のつもり
そのため日式弾薬の生産もはじめている。同様に日式武器に依存していた共産党側の生産が有名だが国民党側も弾薬は作っていた。
それでも「流石に6.5ミリJAPの生産設備を作るのはねえ」となったらしい。
これは民国の小銃は中正-漢陽とモーゼル系で7.92ミリである影響もある。
当然ながら6.5ミリ系は古く物足りなくもみえたのだろう。当時は中国人の方が格段に体格はよい。反動が少ないのは威力が少ないようにも感じられる。大陸で使うには射程もやや短い。馬の殺傷にも向かない問題がある。
また、九九式小銃や九九軽機には残す価値も合った。銃身改削で7.92ミリにできたからである。中正式まあ乱暴に言えば民国版Kar-98製造の3割のコストで99式小銃は7.92ミリに改修できた。
小銃弾は将来も使う99式向けの7.7ミリJAPに絞りそれを改造まで供給する。当座のあいだ日式小銃、軽機、重機のあてればよいとした。
■ GHQにおねがい
でも、日式装備を部隊に配備すると6.5ミリが不足する。日本捕獲小銃は13万丁だが数は三八/四四式の方が多い。8万丁と99式小銃の5万丁の倍近くあったから当然である。
そこで国民党は東京のGHQに「6.5ミリJAPをくれ」と要求した。
そして在庫をもらった様子である。記事では「モウ生産設備がないので」となったとあるが、ある限りの在庫は貰えたとも読みうる。
これが警察予備隊に三八式が出てこなかった理由の一つではないかね。弾がないから交付できなった。逆に九九式は30-06が使えたから「とりあえず使え」で渡せた。そのあたりではないかね。
■ 馬も5万頭ほど欲しい
ちなみに1947年以降の国民党は米式武器を貰えるようになったので日式武器なかでも小火器への依存度は下がったらしい。
ただ、重装備は以前として日式だよりであった。
それに関連して国民党軍には「曳く馬がない」問題も生じていた。どうも日本製の野砲以上を曳く場合には西洋馬と交配を進めた日本軍用馬が要る。中国馬ではうまくいかない様子である。
だから「日本に『戦後賠償で馬5万頭寄越せと言え』」との主張もあった。記事には後方組織の聯勤がその案を出したともある
ちなみに、その場合にはこんどは馬糧の問題が生じることになる。日本馬は丈夫で病気もしないのだが大柄すぎて大食らいでもある。兵隊3ー4人分は食べるので国民党軍にとっては補給が厄介となる問題もあったらしい。
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Comment
国葬儀もようやく終わったけど
10:46
URL
編集
No title
18:14
L
URL
編集
ヤスクニはインチキなところだが、一応は公式手続きがありそれを通過しないと難しいのではないか?
(1)厚労省が伝票を作ってナルちゃんに送る。(2)ナルちゃんがヤスクニの英霊にソレを加える裁可を出し厚労省に送り返す(3)厚労省がヤスクニに伝票を送る(4)ヤスクニがアレの名を霊璽簿に加える、の段取りを踏むことになってる。
ヤスクニをはじめとする国家神道を念頭に置いた政教分離規定を設けた新憲法後も勝手かつ密かに、(1)~(3)を自民系政権は続けてきたが、ヤスクニ合祀ふざけんな裁判で取り上げられて問題化したド真ん中で馬鹿でかい違憲行為だから、改憲するまではムリ。
ヤスクニは”天皇が英霊に加えよと言ったから”という建前で、英霊を量産してるんで、天皇の裁可なしにアレを祀ることはさすがに出来ないでしょう。で憲法上、ナルちゃんが裁可することは禁じられている。けれど、自民系政権が強引に命じたとて、憲法上、強要できる話じゃないし「ヒロヒトの遺訓」で絶拒でしょう。
まあ、他にも口実に難儀するかな。英霊になれるのは大日本帝国に殉じたもので(1)戦時中に戦争のために死んだ(2)敗戦後、戦犯裁判で死んだ者の中から選ばれたもの。
アレは、深い恨みを買い私刑されたというどちらからもかけ離れた死に方をしてる。