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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
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2023.05
05
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Category : 未分類
 殷周革命には温暖化の影響があったのではないか。殷のⅢ-Ⅳ期は気候変動で旱魃傾向にあった。その影響もあって殷は滅んだのではないか。

 『華夏考古』にそれを示唆する記事がでている。楊謙さんと詹森楊さんの「商代晩期気候変遷与祝井儀式発生」である。*

 これがなかなか面白い。

 殷の時代において中原は総じて暖湿の環境にあった。

 今よりも年平均気温で2度、1月平均気温では3-5度も高い。だから南方の獏や水牛も生息していた。これは骨が出てくるし甲骨文にも名前が出てくる。そもそも象は象形文字として登場している。

 また雨も多い。甲骨文を読むと1月から13月[ママ]まで一年中雨が降っている。9月には18日連続で降った記載がある。ほかにも12月に作物を収穫したとの記録もある。年間降水量は今の700ミリよりも100ミリ多い800ミリ程度であるとしている。
 記事中では、まずもって今の長江流域の気候水準であるとしている。

 しかし、殷王朝全期間を通じてみると変動がある。殷墟Ⅱ期は旱魃、Ⅲ基前段には湿潤、Ⅲ期後段から殷の滅亡までは旱魃である。

 これは井戸研究で明らかになっている。井戸の水位線から地下水位の変動を判断する手法によるとⅠ期は平均でマイナス8.55mであった。それがⅢ期には10mほど[これはグラフ読み取り]、Ⅳ期は10.9mまで下がっている。

 また井戸研究はⅢ期とⅣ期では儀式を実施したことも示している。井戸の底や周囲から奉献した礼器と推測できる青銅器や犠牲として捧げたらしい人骨や獣骨も見つかっている。別に甲骨文にも旱魃問題での不雨の占いも建てられている。

 楊謙さんと詹さんはここから旱魃問題が社会や政治に影響を与えた可能性を指摘している。「商代晩期干旱少雨的気候影響人們生活的安定、可能引起一系列社会恐慌、而極端自然災害的出現甚至会影響政治的穏定和国家的安危。」(p.73)と述べている。

 そして史料から国の滅亡と旱魃の結びつきを示唆している記述を提示している。一つは『国語』の周語上から「夏が滅びたときには河が堨いた」といった記述である。もう一つは『淮南子』の俶真訓から夏や殷が滅びるときには三つの河が涸れたとの記述である。

 もちろん、殷は周に敗れて滅びた。牧野の戦いである。

 ただ、旱魃問題は殷が周に敗れた背景の一つである。さらには殷周の交代をもたらした要員の一つであった。そのと見るのはまずは間違いはない。そのように信じられる内容である。

 そのような発見が得られる記事であった。しかも日本の学術にはあまり見ない内容である。その点で中国の学術関係雑誌は読んでいて面白い。


* 楊謙、詹森楊「商代晩期気候変遷与祝井儀式発生」『華夏考古』2022年5期(河南省文物考古研究院)pp.68-77.
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