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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
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2012.04
27
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Category : 有職故実
 毒蝮三太夫が「渋谷には水車があった」と言った。マムシは平日午前10時半にラジオにでるが、昨日(4月26日)は午後の番組にも出ていた。そこで渋谷の思い出として「水車を見たという古老と話したことがある」※ と述べている。

 渋谷に流れる渋谷川には、水車が八軒あった。篠田鉱造が古老から聞き取った『明治百話』には「渋谷の玉川水車」※※ と題する話がある。渋谷川にある「庚申橋△氷川橋△橋戸(並木橋)△加藤が両軒△一ノ橋に今一軒あった」、この八軒とは別に「青山八右衛門という人が、水車を掛けたので」八軒は訴訟をしたという。最大九軒水車があったことになる。

 この「渋谷の玉川水車」には、カワウソも出てくる。当時、渋谷には狐や狸も出てくる。川では鮎も海老も取れる。そして渋谷川でカワウソを獲って見世物として花屋敷に100円で売り払う話も出てくるのである。

 渋谷の蕎麦屋は狸に化かされている。渋谷には、後に福沢家の別荘となった梅屋敷があり、その隣にある蕎麦屋に子供を背負ったおっ母さんが蕎麦を買いに来る。買った後で代金を見ると、嘘か真か木の葉であったという。蕎麦屋の脇では明治になった後で仇討ちもあった。蕎麦屋は後に仙台坂下に移ったとされている。

 明治の聖代、渋谷は郊外にある農村である。周囲を見ても、原宿には陸軍の練兵場があり、目黒には海軍火薬庫がおかれていた。川には水車があって、カワウソが生息できるほど自然が残っていたわけだ。当時の東京郊外、その名残となるのは、白金にある自然教育園くらいなものか。火薬庫保安用地としての名残であるが、当時所々にあった里山とも違うようだ。自然教育園は人間は関与しない方針であり、たとえ帰化植物が侵入してもそのままにされている。

 マムシが出会った古老は、最後の水車を知っていた世代なのだろう。明治30年には玉川水車も電気化されている。マムシは昭和11年生まれなので、天保銭は無理にしても、嘉永安政万延文久が生き残っている。明治30年はついこの間で、水車の話はいくらでも聞ける。またラジオでも会える、マムシは昭和44年から毎日ラジオに出ている。明治25年(1892年)生まれは、昭和50年には八十七、まだまだ生き残っている時代である。


※ 自動車運転中のため、記憶による。
  TBSラジオ「たまむすび」2012年4月26日15時から30分間。

※※ 篠田鉱造「渋谷の玉川水車」『明治百話 下』(岩波書店,1996)pp.168-173.による。
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