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Category : コミケ
2011年夏コミで出した同人の、まえがきです
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あなるは体を売るべきでしたす。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』では、あなるはビッチでなければなりません。売女でなければ、堅物のつまらない女、つることの対比が弱くなります。登場人物で、つるこが隠れてしまったのは、あなるが売女ではないせいです。あくまでも、あなるは股の緩い、ビッチーズの一員であるべきでした。
あなるは、聖なる娼婦であるべきです。もちろん心は綺麗な娘です。あなるは思いを寄せるじんたんに、家に上がりこみ甲斐甲斐しく尽くすのは当然です。あなるは一途なのです。
そして、じんたんの夢を叶えるため奔走する。ロケットの費用を稼ぐため、夜も昼もなく春をひさぐ。件の合コン男も、あなるの優しさにほだされて大枚をはたくでしょう。供養に反対するめんま父を肉体で籠絡する。断わる職人さんにもサービスする。優しい娘ですから、悩むぽっぽも肉体で救済する。怖がるぽっぽに「怖がらないでいい」とか言いながらね。
でも、ゆきあつには決して体を許さない。「じんたんの敵」だから操を立てるのです。いくら言い寄られても、すげない態度でね。そこまで、じんたんに義理立てしても、じんたんは、めんまの面影を追い続ける。でもダメ男だから、あなるとはナアナアの関係も続ける…と、こうすれば、あなるの鏡像としてつるこも生きるのではないかと。
ゆきあつの心を奪いながらも酷い仕打に出るあなるは、つるこが憎む敵、憎まなければならない敵になります。自分は何もできない、しないのに、事あるごとに、あなるを責め立てるつるこ。体は清いが、その心は濁っている。うん、つるこも動き出しますよ。最後に、二人も纏めて回収するのが、めんま復活とその奇跡ですよ。
物語冒頭では憎しみあっていた、じんたんとゆきあつ、あなるとつるこがラストでは手をとり和解するのです。すばらしい人間の成長、ドラマはこうでなければならないでしょう。
ハイ、『あの花』にやられました。異界から客人が来る。客は幸福を与えて帰る。単純な話ですそして、客人が帰った後では、皆は成長している。それがいいのです。
ま、最終話での演出が少々気になりますがね。定林寺以降のシーンですが、演劇になってしまった。視聴者に説明する演出、セリフによる説明とネタばらしが残念でしたけどね。
でも『まどかマギカ』に較べれば大した問題ではないですね。過剰なまでの説明をしないと理解できないない物語って、なんでしょうね。『マギカ』ラストは、「奇跡」や「救済」の意味を説明するのに、セリフとナレーションで延々30分ですよ。
『マギカ』はリアリティ・レベルでも問題があります。「魔女になってしまう」や「魂を抜き取られてしまう」恐怖に、視聴者はリアルを感じない。「現実っぽい」という意味のリアルではありません。その恐怖に「ハラハラしない」わけです。説明臭い上に、キャラクターがどうなるかハラハラしない、没入できない物語ですから、面白くない。やはり『マギカ』は『あの花』には敵しないのです。
あとは『花咲くいろは』ですか。『花いろ』は、実際に存在していて不思議はないものを並べている。物語で起きることもリアルである。その点『あの花』に近いのです。
ただ、『花いろ』人物行動がリアルではない感じもありますね。物語で起きる事態も現実の事態ですけど、登場人物が取る行動は、現実では取らない行動でしょうと。登場人物も、役割、行動、発言が定型化され、カリカチュアされている、誇張が過ぎている。
例えば、お嬢の結名は機械仕掛のピエロです。抜いたほうがスッキリするでしょう。若旦那と次郎丸も二人はいらない。痩せ型、メガネ、優男、そしてダメ男は一人いれば十分です。出すなら、差異を強調すべきです。R2-D2とC-3POみたいにね。その点、母ちゃんの皐月と、コンサルの崇子は差異がクッキリし中々よろしい。辣腕ライターとピンぼけコンサル、ナチュラルとメイク強調、手に負えない女と勘違い女ね。
なんにしても、登場人物をもう少し絞ればね。お花、みんこ、なこち、女将、母ちゃん、孝一、徹だけを前に出して、あとは背景に押し込めたほうがいいですねえ。
いや、『あの花』もちろんオススメですよ。ハイ
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ナマモノなので、まあ3年経つとわからなくなるでしょうねえ。
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あなるは体を売るべきでしたす。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』では、あなるはビッチでなければなりません。売女でなければ、堅物のつまらない女、つることの対比が弱くなります。登場人物で、つるこが隠れてしまったのは、あなるが売女ではないせいです。あくまでも、あなるは股の緩い、ビッチーズの一員であるべきでした。
あなるは、聖なる娼婦であるべきです。もちろん心は綺麗な娘です。あなるは思いを寄せるじんたんに、家に上がりこみ甲斐甲斐しく尽くすのは当然です。あなるは一途なのです。
そして、じんたんの夢を叶えるため奔走する。ロケットの費用を稼ぐため、夜も昼もなく春をひさぐ。件の合コン男も、あなるの優しさにほだされて大枚をはたくでしょう。供養に反対するめんま父を肉体で籠絡する。断わる職人さんにもサービスする。優しい娘ですから、悩むぽっぽも肉体で救済する。怖がるぽっぽに「怖がらないでいい」とか言いながらね。
でも、ゆきあつには決して体を許さない。「じんたんの敵」だから操を立てるのです。いくら言い寄られても、すげない態度でね。そこまで、じんたんに義理立てしても、じんたんは、めんまの面影を追い続ける。でもダメ男だから、あなるとはナアナアの関係も続ける…と、こうすれば、あなるの鏡像としてつるこも生きるのではないかと。
ゆきあつの心を奪いながらも酷い仕打に出るあなるは、つるこが憎む敵、憎まなければならない敵になります。自分は何もできない、しないのに、事あるごとに、あなるを責め立てるつるこ。体は清いが、その心は濁っている。うん、つるこも動き出しますよ。最後に、二人も纏めて回収するのが、めんま復活とその奇跡ですよ。
物語冒頭では憎しみあっていた、じんたんとゆきあつ、あなるとつるこがラストでは手をとり和解するのです。すばらしい人間の成長、ドラマはこうでなければならないでしょう。
ハイ、『あの花』にやられました。異界から客人が来る。客は幸福を与えて帰る。単純な話ですそして、客人が帰った後では、皆は成長している。それがいいのです。
ま、最終話での演出が少々気になりますがね。定林寺以降のシーンですが、演劇になってしまった。視聴者に説明する演出、セリフによる説明とネタばらしが残念でしたけどね。
でも『まどかマギカ』に較べれば大した問題ではないですね。過剰なまでの説明をしないと理解できないない物語って、なんでしょうね。『マギカ』ラストは、「奇跡」や「救済」の意味を説明するのに、セリフとナレーションで延々30分ですよ。
『マギカ』はリアリティ・レベルでも問題があります。「魔女になってしまう」や「魂を抜き取られてしまう」恐怖に、視聴者はリアルを感じない。「現実っぽい」という意味のリアルではありません。その恐怖に「ハラハラしない」わけです。説明臭い上に、キャラクターがどうなるかハラハラしない、没入できない物語ですから、面白くない。やはり『マギカ』は『あの花』には敵しないのです。
あとは『花咲くいろは』ですか。『花いろ』は、実際に存在していて不思議はないものを並べている。物語で起きることもリアルである。その点『あの花』に近いのです。
ただ、『花いろ』人物行動がリアルではない感じもありますね。物語で起きる事態も現実の事態ですけど、登場人物が取る行動は、現実では取らない行動でしょうと。登場人物も、役割、行動、発言が定型化され、カリカチュアされている、誇張が過ぎている。
例えば、お嬢の結名は機械仕掛のピエロです。抜いたほうがスッキリするでしょう。若旦那と次郎丸も二人はいらない。痩せ型、メガネ、優男、そしてダメ男は一人いれば十分です。出すなら、差異を強調すべきです。R2-D2とC-3POみたいにね。その点、母ちゃんの皐月と、コンサルの崇子は差異がクッキリし中々よろしい。辣腕ライターとピンぼけコンサル、ナチュラルとメイク強調、手に負えない女と勘違い女ね。
なんにしても、登場人物をもう少し絞ればね。お花、みんこ、なこち、女将、母ちゃん、孝一、徹だけを前に出して、あとは背景に押し込めたほうがいいですねえ。
いや、『あの花』もちろんオススメですよ。ハイ
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ナマモノなので、まあ3年経つとわからなくなるでしょうねえ。
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