RSS
Admin
Archives

隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

→ サークルMS「隅田金属」
→ 新刊・既刊等はこちら

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Powered by fc2 blog  |  Designed by sebek
2012.12
22
CM:0
TB:0
13:00
Category : 有職故実
 数の関係から列外になることが結構あった。平素の態度と「も」で始まる苗字がモノ言って、結構、あまりもの編成に入っていた。

 江田島の防火防水だかもそうだった。1人足りない隣の、左舷の分隊に、あまり1ということで放り込まれた。今でも覚えているのは、当直学生だった母分隊の薬剤候補生。「文谷が居ても足を引っ張るだけ」と聞こえるように陰口聞かれたので腹がったった。でもま、防火防水はねえ、やってみたら得意だったのよ。なんせ、山持っていて家も薪風呂、ガキの頃からチェンソーと斧、鉈は使っている。防水での、木を切って削るなんてお茶の子さいさい。回された隣分隊で、母分隊の1/3の時間で3寸5分の角材で大木栓作って差し込んで、抑えもさっさと鎹で打ち付けてやったよ。片方が上手にできると、もう片方が厳しくされる、ザマミロと思ったね。

 余り物編成で懐かしいのが、帆走での8号カッターと、陸戦での3小隊1分隊。どちらも問題児ほかを集めたとこなんだが、分隊間で競争に巻き込まれないから気楽なもの。帆走は風が悪いので、夜航海は適当にやっていたんだが、夜が開けると、競争でタッキングやった連中と大して離れてもいなかった。陸戦小隊では面白半分で「おかあさーん」と叫んで突撃したり、急襲急射撃で航空学生に腕立て200やらせたりした。

 8号カッターは、まあ効率第一だった。医官課程が終わってお役御免の元8分隊長が艇長。この人も、あまり出世欲のない人。無茶は言わないで効率を重視する。ほかのカッターだと分隊長が眼を三角にしているのだが、8号は分隊競争とは無関係でのんきなもの。風が止まったので、ついに人力で櫂走を始めたカッターを尻目に、風がくるまで待っていた。現地についても、砂浜にノシ上げるとき「無理するな、この程度でいいぞ」だった。

 帆走は幕営というか、お遊びキャンプのあと、夜航海で戻る。その夜はまず北風で、安芸灘を行ったり来たりだったが、やはり各分隊カッターは必死になっている。あとで聞くとただひたすらタッキングを繰り返して北上しようとしていたらしい。

 8号は、正直自分の位置もよくわからない。小賢しいことをして、下手に島の間に入って迷ってもしかたがないと、南に流されない程度にのんびり東に移動して、岩国のあたりで北にあがろうということになった。しかし、海図の小さいコピーと、手持ちのチャチなマグネットコンパスなので、灯台見ても灯質判断ができず、しかも方位がよく分からず、現在位置がわからない。

 そうこうして深夜、疲労がたまり、ぼーっとしている状態のとき、目の前にイキナリ灯台が現れて、ヒヤリハットがあった。ブツカッてたら、死人も出ただろう。ただし、寝ている奴は呑気なもの。特に風が当たらず平らな部分で熟睡したやつは何も御存知なかった。己は場所取りに出遅れてオールの上で横になったが、ゴツゴツと風で眠れたもんではなく、オモテに居たのでホントに恐怖だった。岩国寸前まで進んで、ノシ上げる寸前だったらしい。

 結局、一晩、多少切り上がりながらの東西移動していておわり。でもま、ろくすっぽ帆走したことのない候補生のやることだから、ちんたらタッキングしてたら、その間、風に南に流されただろう。結果として回数減らしたのは正解だった。夜が開けると、先頭とあまり差はない。南にもカッターがある。そのうち風が代わって、夜の努力は何だったのかというくらい、快走で江田内に戻れた。

 原村での陸戦は、確か1中隊3小隊1分隊だった。1中隊が一般幹部候補生、3小隊が戦力外、その1分隊は思想不良者、2分隊は体力不良者、3分隊はWAVE。

 まず、空砲射撃の時に一工夫した。空砲は結構、炎を吐く。秋の演習場は絶乾状態なので枯れ草がいっぱい。枯れ草に炎が当たると容易に火がつく。この両方を、ある本で学んでいたので、枯れ草めがけて空砲を撃ち、時には枯れ草を集めて空砲を撃った。

 こうなるとしめたもの。山火事防止で状況中止になる。時間に追われた演習なので、消火の時間分、匍匐そのほかの面倒が省略される。それに気づくと、周りも真似をしだすし、消火も適度にやるようになる。火事はマズイが、早く消えるのもよろしくない。真面目なWAVE分隊に較べれば、相当の省力化になっただろう。

 ハイポートで隠れてスリング使ったりもした。小銃を手で抱えて走るのも重いので、スリング伸ばして背中にかけて、ピンと伸ばして走っていた。ズルなんだが、それやるなとも言われてなかったしね。これも一人が始めると何人か真似した。なんせ、腕のちからがほとんど入らないので全然ラク。もちろん、万事が適当な仲間なので、互いには何も言わない。

 あとは「撃ち方止め」を令さず、しびれを切らせて突撃してきた連中に面白半分で急射撃とかもやった。まあ、全員戦死なんだが、気の毒なことに航空学生なので腕立て200には気の毒だった。その日の風呂(毎日入れるんだから気楽なもの)で、誰か知らんが、ただでは済まさないといっているのを聞いて、ありゃと思ったけどね。

 突撃の時には、適当に叫ぶことになっているのだが、まあ「おかあさーん」は良かったねえ。防大でのハミ出し男の提案なんだが、粋なもんだった。奴は練習艦隊最後の巡検でアフロかぶって座っていた粋な幹部なんだが、成績は己と同じ最低クラスだったよ。

 割りと仲よかったこともあって、帰りの徒歩行軍で車に乗せられる落伍者を出さないで済んだ。行軍といっても50kmもないし、荷物も軽いので陸空からすればピクニックなんだが、尺取虫運動をする最後尾の割に落伍者なしは、海の水準では褒められるものらしい。
 要は体力に応じて荷物をわけただけのズルなんだがね。特に一番重いのが鉄の棒、初から見てないとこでは小銃もわけたし、途中からは堂々と分担した。いいのか悪いのか知らないが、どーしょうもない地口言いながらあるったりね。運良く、高校でのワンゲルだかの経験者がいて「とにかく靴下を変えろ」というのでそのとおりにした。結果、よそほど靴傷で酷い目には合わず、真っ先に上陸できた。針通して糸のこせ、で驚くほど安全に靴傷も治ったのも幸運か。

 カッターも陸戦も、そのあとの練艦隊でも、同じ面子が一緒になることが多くてね。分隊の連中よりも割りと仲良くなったもんだよ。クラスで一番有名になった奴もいて、有名になった理由を知ったときは気の毒だと思ったが、その後の消息を聞くと、まあ、彼も無事でいてよかったと思った。
スポンサーサイト

Comment

非公開コメント