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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2012.12
16
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16:55
Category : 有職故実
 桜林さんの「『愛情』があるから人間は戦争をする」※ なんだけれども。 記事全体のご趣旨はともかくとして、昭和15年を「奉祝ムードに沸いていた」とするのは、当時の世相を無視しているのではないか。

 桜林さんは、おそらく、左翼的な戦前真っ暗史観への対抗、感情的反発として「2600年奉祝」を持ちだしたのでしょう。だが、当時は日華事変の真っ最中で、配給制が厳しくなる時代である。国際環境を見ても、蒋政権を屈服させる見込みも立たず、ABCD包囲網も狭まり、ヨーロッパでは第二次世界大戦も始まっている。この世相をみて、昭和15年は「奉祝ムードに沸いていた」とするのには無理があります。
一体、誰が昭和15年をして「暗い時代」に突入したなどと決めたのだろうか。そもそもこの年は「紀元2600年」であり、日本中が奉祝ムードに沸いていたはずだ。

 「今」の価値観で測って「暗い」「明るい」などと評価するなど、おこがましいことこの上ない。当時の人々の懸命な日々の営みを否定する権限は私たちにはないのだ。

 毎年3万人もの人が自殺し、それ以外にも不審死が数万人に上るという現代は「平和」だと言われるが、果たして「幸せ」な時代なのだろうか。こうなると、もはやどちらがどれほど「暗い」か「明るい」か、などと評することに何の意味もないだろう。

 たしかに、戦前は真っ暗であったと一言で片付けるのは乱暴です。山本夏彦さんがよく書いていたように、戦争による需要増大で、10年前の世界恐慌を吹き飛ばす好景気でもあったわけです。

 しかし「昭和15年は暗い時代」を否定するのに「奉祝ムードに沸いていた」というのは、大きな間違いです。

 桜林さんは平成24年について「毎年3万人もの人が自殺し」と具体的な死者数を挙げ、「[昭和15年と平成24年の]もはやどちらがどれほど『暗い』か『明るい』か」と述べ、今日の、平成24年の世相がむしろ暗いと主張しています。

 桜林さんは、昭和15年の不幸な死者数を御存知ないのです。おそらく、日華事変を知らないか、知っていても「中国相手の気楽な戦争」だと思い込んでいるのでしょう。

 当時は日華事変の真っ最中です。日華事変は日露戦争以上に過酷な戦争で、昭和12年9月から16年12月までの間に、陸海軍で19万人が、戦死、戦病死、戦地での公務死で死没しています。昭和15年には5万人程度が戦死しています。

 昭和15年は、当時は自殺者に加えて、それに倍する死者が発生し、それと同数以上の不具廃疾となった戦傷者が発生しているのです。

 当時の人口は今よりも少ない8000万人ですから、社会に与えるインパクトはヨリ大きくなります。実際に新聞縮刷版を読むと、毎日、戦死者を顕彰する記事が出ていますし、郷土部隊の戦死者名を公告する記事もでています。

 不幸な死者の数を数えてみれば、昭和15年と平成24年では「どちらがどれほど『暗い』か『明るい』か」は容易に判断できると思います。桜林さんのように判断つきかねることもないでしょう。

 時代の閉塞感も、平成24年どころではありません。戦争そのものも行き詰まり、終わる見込みもありません。日華事変は、最初に南京落としても駄目だったあたりで、もうどうしようもないのです。その後、広州、仏印と援蒋ルートを封鎖しても、蒋が降りる見込みもない。その上、対日禁輸も本格化し、国家総動員体制で配給制も強化された昭和15年は、相当に逼塞感が迫ってきた時代です。

 確かに、国家行事としての「皇紀は2600年」もありましたが、あくまで官製のお祭りです。そこで配給の大盤振る舞いもありましたが、国中が「奉祝ムードに沸いていた」ようなものではありません。東京オリンピックや大阪万博の世相とは、通奏低音の戦争の重苦しさが違い過ぎます。

 知り合いのだれかは出征兵士の家なのです。翌昭和16年度の支那派遣軍は72万8000です。海軍の支那派遣艦隊のうち、陸上配置部隊を足すと、まず80万人近いでしょう、出征兵士の家も80万戸です。当時は大家族ですから、出征兵士の家族は1000万人程度はいます。知り合いに出征兵士がいない人を探すのは無理な話で、出征した人のうち、年間5%強が死没し、同数の戦傷者を生むのです。

 試しに97の祖母に聞いたら、「皇紀二六〇〇年のお祭りなんて覚えてないよ。兵隊に引っ張られて大陸に行った爺様がいないんで、毎日が大変だったから」といってますね。日華事変の段階で、近所で白木の箱で帰ってきた人もいたから、支那派遣軍ほかで大陸で戦っている兵隊さんのご家族は、心労で奉祝どころではないのです。

 昭和15年が明るい時代「奉祝ムードに沸いていたはずだ」は、当時の世相を無視しています。桜林さんが左翼的な臭いに感情的反発をした「昭和15年は暗い時代」という戦前真っ暗史観と同様に誤りなのです。

※桜林美佐「『愛情』があるから人間は戦争をする 思考停止を脱して戦争の本質を理解せよ」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36733



と、まあコミケ作業の合間に書いてしまったので、即時投稿。
冬新刊の「LCSには魅力がない」は概成したので、「陸上戦力18万の数字に根拠はない」本にとりかかろうかというところです。
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Comment

非公開コメント

No title

まああれだな、この頃の雰囲気というのをなかなか理解できないヒトも多かったんだろうけど、海外で何年も続いた戦争がいっこうに終わらないで死人ばかりが増えていくアメリカの様子を見てればそれと似たようなモンだとわかりそうなもんだが( ・・)/

Re: No title

上海事変以降には中国は「全面抗戦」に転じますから。「事変」どころではない大戦争です。今の米国のイラク戦争どころじゃなくて、ベトナム戦争以上の激しさで、その戦死者を毎年出していたわけですからね。