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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2013.03
24
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Category : 未分類
 横須賀教育隊は仕事でよく行ったが、大抵私有車で移動していた。教育隊は横須賀の総監部にぶら下がっているので、仕事と連絡と、怒られ要員でよく行った。仕事は教育隊と音楽隊の面倒を見ること。連絡は当時の施設庁監督官との打ち合わせ。怒られ要員は、土地が余っているので勝手に置かれた陸海空工事の、まあ産廃保管をどうにか引き伸ばすための、司令への土下座要員ね。仕事以下を書きだすと長くなるので、ここには書かないけどね。

 私有車移動なのは、官用車が1台しかないから。部課で持っていた官用車は1台だけだった。できれば米軍入構用にとっておきたい。なんせ官用車であれば、載っている人を含めてノーチェックで入れる。MTのコラムシフトだったので、運転できる海曹士・事務官技官も時期によるが3-4名しかいなかった。己も含めて幹部と幹部相当事務官が、略全員運転できるのは皮肉だった。実際、横須賀、船越、米軍に入るときは、ほとんど幹部が運転して行った。

 また、横須賀教育隊は特に官用車を避けたい理由があった。陸を含めて新兵さんが多いので、官用車だと間違いなく敬礼される。それに一々答礼するのが面倒なわけだ。しかも運転手が幹部だと、最先任者でペコペコ頭を下げるしかない。対して私有車なら、帽子を外しておけば、まず気づかれない。面倒な敬礼も答礼もしないので済むのが利点だった。

 自前で車とガソリンを使う点についても、実は大した問題もなかった。余徳があったので、充分にカバーできた。

 10年以上前の話なので口にするのだが、高速のチケットで充分に元がとれた。会計法規の時効は5年だからね。横須賀教育隊は三浦半島の反対側、武山にある。横須賀の総監部から山を超えて行かなければならない。まずは時間がかかって仕方がない。だから、中山有料道路と横横を使うことになっていた。その時には官用車も私有車もチケットを貰えた。でもねえ、実際には下道を走るわけだ。そのチケットを私用利用した。

 チケット代は、片道150+200円だったかな、その往復分。週末に自宅に帰るときになんかに使っていた。まずバレない。バレるとすれば強欲はって、下道で事故でも起こしたのに、その時にチケットを返納しないような場合かね。まあ余徳だと思っていたよ。換金していたわけでもないしね。横須賀時代の最後にはチケットが使いにくくなったので、今は無理だろう。

 下道を走る余裕もあった。何にせよ、当時の仕事は昼間、特に午前中には比較的余裕があった。幹部の仕事は課業やめ以降も続く。ほぼ例外なく残業で、帰るのは早くて夜の8時過ぎ(スーパーの営業時間に間に合う)、普通は10時、厳しい時期だと1-2時だった。己が横須賀教育隊に行くのは午前が多く、課業はじめ直後は向こうも忙しいので、下道を走るのは時間調整で調度良かった。ちなみに車輌運行票は市内なので公用車でも書かないので、その点での差はない。

 こういうこともあって、横須賀教育隊方面に行く時には、まず己と私有車だった。もともと武山の仕事は、略、己だけということもあったが、私有車があるのでついでに行ってくれという仕事も多かった。佐島と長井の漁協とかね。

 人事異動の際には、相模湾側への漁協には挨拶に行った。武山側、横須賀教育隊の海面使用は微々たるもの、漁業権滅失が桟橋の投影面積の20平米程度の小便みたいな面積だったが、挨拶は結構やっていた。この時は、上司に干物を買わせるのが常だった。理由は「美味しいから」だけどね。確か、南極の氷も持っていったような気もする。これも横須賀東部漁協と話すときの準備。何かの時に「海軍は武山でも毎回挨拶に来るよ」とでも言ってもらえれば、まあ多少の信用にもなるだろうということだ。

 選んで私有車を使うことは他にもあった。土地の買収や埋め立てほか、自衛隊が動いていることがバレると塩梅が悪い時には、部長級(1佐)を乗せて私有車で行った。部長級は背広。己は現場代理人あたりをイメージした作業服っぽい服装。関東自動車の土地買収の時には、その関東自動車や市役所、登記所、財務局事務所にはそういう態勢で、しかも多少遠回りして逆方向から到着した。周辺対策もそう。護衛艦の騒音が思わぬ遠距離に届いていた時には、大事になる前に事実確認と処理ということで、夜に同じような服装で行った。

 1佐2佐でも自転車乗って行ったり、偽装半分・私用半分で籠にスーパーで買った大根や葱を乗せたりね。自転車でも己は別道で移動して、別の入り口から入るのだけれども、総監部に戻ったときにはかご見て笑ったよ。定年寸前の2佐上司は「わし一人でいくけん」と単身徒歩で出て行ったこともあった。これも半ばはギャグで、雨の中、嬉々として背広に傘とゴム長、合切袋に議事録とCAD図面と記憶媒体(USBメモリの最初の時期)持っていた。どう見ても、田舎から息子に会いに上京した親爺だった。ただねえ、昭和40年代の雰囲気だけどね。
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