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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2013.05
17
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Category : 有職故実
 1960年になっても江戸時代は残っていた。東京の○○島(島名は主旨ではないので秘す)なんかはそんなところだったらしい。

 「ついにきた!あこがれの東京」という記事がある。内容は、伊豆諸島の離島、○○島中学が、どうにかして生徒を東京に旅行させるというもの。頑張っても行き帰りの旅費しかなかったギリギリの旅行計画であったが、それが何回か新聞記事になると、篤志があつまって東京市内を観光できるようになった。

 ただし、当時の○○島は人口100人の村で、ラジオも電灯も井戸もない。もともと○○島は港もなく、耕地もそれほどない。交易や農業はあまりできず自給自足状態にあった。
 島には車もないので、バスに乗ると「牛よりも早い」、「目が回る」と言ったとある。

 また、初めて見たジュースにも手をつけない。篤志の振る舞いなのだが、見たことのないせいか、子供なのに冷たいジュースに口をつけない。

 そもそも、体格が劣っていた。米が取れないので芋が常食であり、子供も大人に混じって重労働をするので、当時の新聞でも小柄と書かれている。しかも、食べつけない米よりも芋のほうがいいという。「米ばかり食ったが、はやくカンモ(サツマイモ)食いたい」という話が採録されている。

 江戸時代の寒村から、戦後の東京に現れたようなものなのだろう。それがあったのは、たかだか50年前の話に過ぎない。



※ 「ついにきた!あこがれの東京」『朝日新聞』(朝日新聞,1960.9.7)夕刊 p.5.
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