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- » 2024 . 01
Category : ミリタリー
自衛隊任務で本土防衛しか見ないのは、了見が狭すぎるのではないか?
「自衛隊が最優先するのは本土防衛である」という思い込みは強い。「陸自最優先、陸自がいるので、敵は日本上陸を諦める」や「防衛はサッカーと同じ、ゴールキーパなしでサッカーをやるのか」という意見は、その誤った思い込みである。自衛隊の役割を、日本本土への侵略に対抗する存在としか考えられない誤りの結果である。
現今、自衛隊に期待される任務は、本土防衛ではない。メインは、海外での国益保護、外交の駒、災害派遣である。具体的には、自由航行の確保や国際貢献、中国とのゲームの駒、災害時に機動運用できる国家防災力である。
海外での国益確保は、蓋然性のない本土防衛どころではなく、重要な問題である。日本が軍隊を使って保護すべき利益は、すでに世界中に広がっている。日本経済は、海外に依存している。まず、農水産業、鉱工業とも、海外にある安価なエネルギー、工業資源、食料に依存する前提である。また、日本自身が海外への直接・間接投資や、貿易で生まれる利益で金儲けをしている。
実際にも、防衛政策の焦点は海外の権益確保に当てられている。公海の自由や、海賊対処、在留邦人保護、国際貢献とオブラートに包んだ形にしている。だが、本質は日本の商工業による金儲けや、資源や食料輸入先と輸送経路の確保、海外に投資した資本の保護である。国際貢献のうち、人道支援といた純粋なものであっても、慈善事業もあるが、それだけではない。「村八分にされないため」という国際社会での権益確保でもある。
外交の駒としての役割も、本土防衛どころではない優先順位にある。今は中国とのゲーム、冷戦期にはソ連との対峙のために自衛隊は重要な枠割がある。中国に兆しの見える、「膨張主義を封じ込めるため」には、自衛隊による空海戦力の優位や、島嶼部への陸兵配置は重要な意味を持つ。冷戦期でも、専守防衛であるとごまかしていたが、陸海空自衛隊は、ソ連の脆弱部である極東につきつけた楔であった。
災害派遣への準備も、本土防衛よりも現実味が高い。地震や風雨災害といった自然災害や、航空事故といった事故災害での救難は、毎日備えなければならない事態である。その時に、国家が手元に持っており、機動的に投入できる大規模な人的資源は自衛隊しかない。
これらの任務に較べれば、本土防衛はそれほどの優先度はない。本土防衛は、実質的に起きる可能性が低い任務の一つにすぎない。確かに、本土防衛といた事態が起きれば、降伏するかどうかといった瀬戸際になる。だが、それは実際に起きる見込みはない。
本土防衛は事実上無視してよい。周辺国には日本本土侵略の意図はない。また、日本本土侵略を実現する戦力もない。日本侵略の脅威は考えなくて良い。まず、宇宙人が攻めてくる程度に過ぎない。本土侵攻の確率と宇宙人が攻めてくる確率は、無視できるという意味では同じである。まず起きないことでは、航空事故に合う確率0.01%と、落ちてきた航空機にぶつかる確率0.0001%程度の差に過ぎない。どちらも無視してよいものである。もちろん、航空事故に遭った時には困るので、保険を掛けておく。本土防衛戦力は、その程度のものだ。
防衛を本土防衛に限定するのは、字義に引きづられた結果だ。戦争に負け、新憲法を作ったあと、やはり軍隊がないといろいろ不便があるということになった。そして警備隊と警察予備隊を作り、ひとまとめに軍隊にしようとした。その時、軍隊の放棄といった憲法や世論との矛盾を避けるために用語をつくった。防衛庁-自衛隊-専守防衛がそれだ。当時でも「対侵略対処だけは必要ではないか」というコンセンサスはあった。防衛といった言葉は、それを利用した方便に過ぎない。要は、侵略はしませんというだけの話にすぎない。
しかし、その言葉に縛られる人も出てきている。当初に決めた防衛庁-自衛隊-専守防衛という言葉によって生まれるイメージで、自衛隊の活動範囲を固定する人が出てきている。甚だしいものは、「海空自衛隊は領海・領空でなければ戦闘ができない」とか「相手によって上陸されるまで交戦できない」といった類の誤りがそれだ。
すでに防衛政策の焦点は、海外での国益保護、外交の駒、災害派遣に向いている。運用方針も、装備調達も、教育訓練もそうである。
それを見ないで、本土防衛以外を考えられないのも、了見が狭いと言わざるを得ない。防衛に詳しい、実際には防衛装備に詳しいと自称して発言をしている人が「陸自最優先、陸自がいるので、敵は日本上陸を諦める」や「防衛はサッカーと同じ、ゴールキーパなしでサッカーをやるのか」といった、本土防衛だけしか考えない発言をしている。それは、日本にとっての安全保障といったヨリ大きな概念に欠けるもので、残念なものだろう。
「自衛隊が最優先するのは本土防衛である」という思い込みは強い。「陸自最優先、陸自がいるので、敵は日本上陸を諦める」や「防衛はサッカーと同じ、ゴールキーパなしでサッカーをやるのか」という意見は、その誤った思い込みである。自衛隊の役割を、日本本土への侵略に対抗する存在としか考えられない誤りの結果である。
現今、自衛隊に期待される任務は、本土防衛ではない。メインは、海外での国益保護、外交の駒、災害派遣である。具体的には、自由航行の確保や国際貢献、中国とのゲームの駒、災害時に機動運用できる国家防災力である。
海外での国益確保は、蓋然性のない本土防衛どころではなく、重要な問題である。日本が軍隊を使って保護すべき利益は、すでに世界中に広がっている。日本経済は、海外に依存している。まず、農水産業、鉱工業とも、海外にある安価なエネルギー、工業資源、食料に依存する前提である。また、日本自身が海外への直接・間接投資や、貿易で生まれる利益で金儲けをしている。
実際にも、防衛政策の焦点は海外の権益確保に当てられている。公海の自由や、海賊対処、在留邦人保護、国際貢献とオブラートに包んだ形にしている。だが、本質は日本の商工業による金儲けや、資源や食料輸入先と輸送経路の確保、海外に投資した資本の保護である。国際貢献のうち、人道支援といた純粋なものであっても、慈善事業もあるが、それだけではない。「村八分にされないため」という国際社会での権益確保でもある。
外交の駒としての役割も、本土防衛どころではない優先順位にある。今は中国とのゲーム、冷戦期にはソ連との対峙のために自衛隊は重要な枠割がある。中国に兆しの見える、「膨張主義を封じ込めるため」には、自衛隊による空海戦力の優位や、島嶼部への陸兵配置は重要な意味を持つ。冷戦期でも、専守防衛であるとごまかしていたが、陸海空自衛隊は、ソ連の脆弱部である極東につきつけた楔であった。
災害派遣への準備も、本土防衛よりも現実味が高い。地震や風雨災害といった自然災害や、航空事故といった事故災害での救難は、毎日備えなければならない事態である。その時に、国家が手元に持っており、機動的に投入できる大規模な人的資源は自衛隊しかない。
これらの任務に較べれば、本土防衛はそれほどの優先度はない。本土防衛は、実質的に起きる可能性が低い任務の一つにすぎない。確かに、本土防衛といた事態が起きれば、降伏するかどうかといった瀬戸際になる。だが、それは実際に起きる見込みはない。
本土防衛は事実上無視してよい。周辺国には日本本土侵略の意図はない。また、日本本土侵略を実現する戦力もない。日本侵略の脅威は考えなくて良い。まず、宇宙人が攻めてくる程度に過ぎない。本土侵攻の確率と宇宙人が攻めてくる確率は、無視できるという意味では同じである。まず起きないことでは、航空事故に合う確率0.01%と、落ちてきた航空機にぶつかる確率0.0001%程度の差に過ぎない。どちらも無視してよいものである。もちろん、航空事故に遭った時には困るので、保険を掛けておく。本土防衛戦力は、その程度のものだ。
防衛を本土防衛に限定するのは、字義に引きづられた結果だ。戦争に負け、新憲法を作ったあと、やはり軍隊がないといろいろ不便があるということになった。そして警備隊と警察予備隊を作り、ひとまとめに軍隊にしようとした。その時、軍隊の放棄といった憲法や世論との矛盾を避けるために用語をつくった。防衛庁-自衛隊-専守防衛がそれだ。当時でも「対侵略対処だけは必要ではないか」というコンセンサスはあった。防衛といった言葉は、それを利用した方便に過ぎない。要は、侵略はしませんというだけの話にすぎない。
しかし、その言葉に縛られる人も出てきている。当初に決めた防衛庁-自衛隊-専守防衛という言葉によって生まれるイメージで、自衛隊の活動範囲を固定する人が出てきている。甚だしいものは、「海空自衛隊は領海・領空でなければ戦闘ができない」とか「相手によって上陸されるまで交戦できない」といった類の誤りがそれだ。
すでに防衛政策の焦点は、海外での国益保護、外交の駒、災害派遣に向いている。運用方針も、装備調達も、教育訓練もそうである。
それを見ないで、本土防衛以外を考えられないのも、了見が狭いと言わざるを得ない。防衛に詳しい、実際には防衛装備に詳しいと自称して発言をしている人が「陸自最優先、陸自がいるので、敵は日本上陸を諦める」や「防衛はサッカーと同じ、ゴールキーパなしでサッカーをやるのか」といった、本土防衛だけしか考えない発言をしている。それは、日本にとっての安全保障といったヨリ大きな概念に欠けるもので、残念なものだろう。
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08:47
yomoyama
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ですが、日本本土での戦争を日本が単独で遂行するという考え方がおかしい、という点は非常に同感です。
現政権は日米安保と日印・日豪の安保共同宣言を基軸に集団的自衛権による外交での安全保障の担保を構築しようとしている。この点を忘れて軍事の一面だけで国防を考えるのはいささか問題アリだと思いますね。