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- » 2023 . 03
Category : 有職故実
戦時日本は敵であった中国から、戦略物資を大量に買い付けていたらしい。
桐油という油がある。アブラギリの実を絞った油で、かつては塗料や防水加工にとって重要な原料だった。
日本は、その桐油を中国から買い付けている。しかも、高価買取というだけの、全く血を流さない方法で中国生産量の半分以上を買い付けていた様子。
中国社会科学院『抗日戦争研究』、2012年第1期に斉春風さんの「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」※ が掲載されている。要旨は、日本は国民政府買入価格の2-12倍で桐油を買い入れたので、相当が日本側に流れてしまったというもの。
日本は、桐油買取価格を、国民政府より高く設定していた。桐油買取価格は時期や地方によって異なるが、日本の買取価格は常に国民政府より高値である。1941年、皖中では国府買取価格80元に対して、日本買取価格は1000元※※ であった。
また、日本進駐下である仏印(ベトナム)での高値設定と流出も、実質的な対日輸出であった。国境を接する広西では、国府買取価格230元に対して、30km離れた仏印では400余元であり、しかも貨幣価値を勘案すれば国府法幣5000元に相当している。
日本側も桐油の確保に必死になっていた。三井、三菱、岩井洋行、大原公司、公利庄
、万利庄が現地展開している。また軍部は中国の海賊を使い、別に海軍は漁船を集めて桐油輸送に投入している。
その甲斐あってか、日本は相当量を確保することに成功している。中国から絞り取った形であるが、正々堂々とお金の力で勝負して国府に勝ったものである。なんせ、相手が競って持ってきたものである。それほど悪いものでもない。
ちなみに、日本に流出した桐油の量は、下手をすると中国生産量の半分以上である。斉さんは、戦時下中国での生産量と、日本側に流出した総量を断定していない。だが、下手をすると生産量の半分以上が日本側に輸出されただろうことを示唆している。桐油の国民政府買取量は、金額ベースでは戦前に較べて戦時下では半減している。しかも、国府買取価格を値上げしたうえの話である。
結論として斉さんは、日本軍への協力であると唾棄している。「飛行機や大砲、戦車、軍艦と潜水艦、外套に塗るのに桐油は必需品なんだが、それを密貿易で日本人に渡すのって利敵行為で、血を流さない殺人行為への加担だろ」(大意)と述べている。「日本に輸血するために中国から血を抜いたら、中国が貧血になった」とも述べている。
まず、お金の力には勝てないということだね。冷戦中にアメリカがソ連からウランを買ったように、欲しいものがあれば高値をつければ、敵国からでも買えるということだ。特に相手の国境コントロールがルーズなら、価格の高い方に物資は流れる。金の力にあかせて勝てれば、それを武器にした方がいいということだ。
※ 斉春風「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」『抗日戦争研究』2012年第1期(中国社会科学院、2012)pp.123-130.
※※ 日本が高値で買い取れた理由として、斉さんは、アヘンやヘロインの裏付けがあったようにも書いている。桐油代金で食料や衣類を入手したことになっているが、回り回れば鴉片、白面、海洛だろみたいなことを書いている。
桐油という油がある。アブラギリの実を絞った油で、かつては塗料や防水加工にとって重要な原料だった。
日本は、その桐油を中国から買い付けている。しかも、高価買取というだけの、全く血を流さない方法で中国生産量の半分以上を買い付けていた様子。
中国社会科学院『抗日戦争研究』、2012年第1期に斉春風さんの「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」※ が掲載されている。要旨は、日本は国民政府買入価格の2-12倍で桐油を買い入れたので、相当が日本側に流れてしまったというもの。
日本は、桐油買取価格を、国民政府より高く設定していた。桐油買取価格は時期や地方によって異なるが、日本の買取価格は常に国民政府より高値である。1941年、皖中では国府買取価格80元に対して、日本買取価格は1000元※※ であった。
また、日本進駐下である仏印(ベトナム)での高値設定と流出も、実質的な対日輸出であった。国境を接する広西では、国府買取価格230元に対して、30km離れた仏印では400余元であり、しかも貨幣価値を勘案すれば国府法幣5000元に相当している。
日本側も桐油の確保に必死になっていた。三井、三菱、岩井洋行、大原公司、公利庄
、万利庄が現地展開している。また軍部は中国の海賊を使い、別に海軍は漁船を集めて桐油輸送に投入している。
その甲斐あってか、日本は相当量を確保することに成功している。中国から絞り取った形であるが、正々堂々とお金の力で勝負して国府に勝ったものである。なんせ、相手が競って持ってきたものである。それほど悪いものでもない。
ちなみに、日本に流出した桐油の量は、下手をすると中国生産量の半分以上である。斉さんは、戦時下中国での生産量と、日本側に流出した総量を断定していない。だが、下手をすると生産量の半分以上が日本側に輸出されただろうことを示唆している。桐油の国民政府買取量は、金額ベースでは戦前に較べて戦時下では半減している。しかも、国府買取価格を値上げしたうえの話である。
結論として斉さんは、日本軍への協力であると唾棄している。「飛行機や大砲、戦車、軍艦と潜水艦、外套に塗るのに桐油は必需品なんだが、それを密貿易で日本人に渡すのって利敵行為で、血を流さない殺人行為への加担だろ」(大意)と述べている。「日本に輸血するために中国から血を抜いたら、中国が貧血になった」とも述べている。
まず、お金の力には勝てないということだね。冷戦中にアメリカがソ連からウランを買ったように、欲しいものがあれば高値をつければ、敵国からでも買えるということだ。特に相手の国境コントロールがルーズなら、価格の高い方に物資は流れる。金の力にあかせて勝てれば、それを武器にした方がいいということだ。
※ 斉春風「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」『抗日戦争研究』2012年第1期(中国社会科学院、2012)pp.123-130.
※※ 日本が高値で買い取れた理由として、斉さんは、アヘンやヘロインの裏付けがあったようにも書いている。桐油代金で食料や衣類を入手したことになっているが、回り回れば鴉片、白面、海洛だろみたいなことを書いている。
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Comment
そういえば
19:36
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編集
ところで、冷戦中のアメリカは隣国のカナダや西側のオーストラリアでもウランを調達できるのに、ソ連からウランを買ったのはどういった理由からなんでしょうか?
Re: そういえば
01:27
文谷数重
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編集
アメリカの濃縮施設が手一杯だったので、ソ連で商業発電用に濃縮されたウランを買ったのです。
「これでソ連の核兵器生産を邪魔できる」という自画自賛もあったようです。
このあたり、有馬哲夫先生の『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史―』だかに記載されていたと思います。