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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

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2013.08
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Category : ミリタリー
 山下輝男さんの「終戦の日に中国の日本侵攻について考える」※ という記事がある。

 日中ともに相手の国に攻め込む気もない。その前提をムリクリに覆して、日本に攻めてくるときにはどうするのかを熱弁されている。内容的には納得できない部分が多いのだが、それには言及しない。

 たが、正義の日本vs不正義の中国というフォーマットになっているのは、残念なものである。山下さんは軍事問題の専門家である。防衛という技術を扱うプロフェッショナルが中国との軍事問題を論ずる上で、わざわざ不正義の中国と述べる必用があるのだろうか。日中の軍事対立と、その上で日本の防衛に必要な技術的な事項について淡々と述べればいいのではないだろうか。

 例えば、山下さんの「対外武力行使」という言葉がそれである。外征的なイメージを持ち、場合によれば対象への侵略を想起させる対外武力行使という言葉を使っている。それにより、不正義の中国という価値観をわざわざ持
ちだそうとしている。その上、内容も怪しい。

 山下さんは、「2 中国の対外武力行使について」で「(1)中国の対外武力紛争の概要」を挙げている。その項目建だけを抜き取ると次のとおりになる。
1. 朝鮮戦争(1950/6/25~1953/7/27)
2. 第1次台湾海峡危機(1954~55)
3. 第2次台湾海峡危機(1958)
4. 中印国境紛争(1959~62)
5. 中ソ国境紛争(1969)
6. 西沙群島海戦(1974)
7. 中越戦争(1979)
8. 南沙群島軍事衝突(1988)
このうち、2と3は明らかに対外武力行使ではない。

 特に「中国の対外武力行使」に、国民政府との戦いを含んでいるのは、全く妥当ではない。最近の中台両岸関係で攻めこむなら、侵略的なイメージを伴う「対外武力行使」になるかもしれない。しかし、60年代までの国府との戦いは紛れもない内戦である。まずは国内戦であって、対外武力行使で挙げるのは妥当ではない。

 そもそも、最初の朝鮮戦争にしても、侵略的なイメージを持つ対外武力行使と呼べるか怪しい。内戦中であった朝鮮半島において、北朝鮮が南進するときには、中国による本格介入は行われていない。米軍・国連軍が参戦し、韓国軍ほかが38度線を越えた北進を始めたあとになって、中国は現地政権である北朝鮮が了解した上で、ようやく本格介入している。

 中印、中ソ国境紛争にしても、どっちがどっちに攻め込んだというものでもない。これらを対外武力行使と言うのであれば、ノモンハン事変も日ソ両国による対外武力行使となってしまう。

 外征的なイメージを持つ、対外武力行使に含めてよいのは、最後の6-8程度だけだ。ただし、西沙、南沙での島の取り合いも、多少は中印、中ソ国境紛争に似た、どっちもどっちの部分はある。もちろん、南北ベトナムが平穏無事に占拠していた島を、海洋新秩序に出遅れた中国が襲ったことに違いはないのだけれども。

 また、山下さんは「5 終わりに」で「本稿は中国の脅威を煽るものではな」い旨を表明しているが、エクスキューズにしか見えない。山下さんは
[中国政府は] 自らが育てた悪魔が自らを蝕むということがないのだろうか?
 育ち過ぎた民族主義を抑えられなくなった時、それに押されて対外暴挙に出ないという保証はない。習近平が掲げる「中国の夢」とは何か? 中華主義、太平洋二分割論なのだろうか?
 その見果てぬ夢を具現・達成への欲求が彼を圧迫する。
[改行は省略]
と、中国には対外侵略をする傾向があること強調している。※※ この「終戦の日に中国の日本侵攻について考える」でも、中国の侵略性強調が通奏低音となっている。

 これらは、意識的か無意識的かはともかく、中国に対外侵略をする傾向があること強調しようとするものにしかみえない。

 この傾向は、元自、特に陸自の人に多い。日中軍事問題について、正義の日本vs不正義の中国といったフォーマットで示したがる。このJB PRESSでも、篠田芳明さん(これ)や、用田和仁さん(これ)、森清勇さん(これ)と、見事に正義vs不正義で語っている。

 その上で、中国が如何に不正義であるかを強調する内容になっている。論ずるべきが日本の防衛であり、そのための技術的な行政的手段であるにもかかわらず、おしなべてそのような内容になっている。

 プロである/あったなら、その価値観から離れて、日中を大差ないものとして並べて見たほうがいいのではないのか。彼らの強みは、戦争や戦闘での知識技能である。政治批評ではない。

 日中軍事衝突について論ずるにせよ、日中の立ち位置を正vs正の文脈で書ける。また、日中を正vs正で書いても、彼らの主張の本筋には影響はない。現在の軍事バランスや想定する戦争、それぞれの考える戦闘の様相や日中にある有利不利について、それぞれの主張が持つパワーが弱体化するものではない。

 ある意味、中国を悪くいいたい人への迎合もであるが、それはやめたほうがよい。日中軍事対立についても、中国への悪口なしで主張できる。また「日本で国防政策は大事、ホントに超大事」とする根幹の主張についても、日中を正vs正で捉えるフォーマットで充分である。※※※



※   「終戦の日に中国の日本侵攻について考える-中国の対外武力紛争史が教える執拗でしたたかな戦略」『JB Press』(日本ビジネスプレス、2013.8.15)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38442


※※  「3 対日武力侵攻について」中「(1)対日武力発動の条件に関する検討」の下にある「ア 国内要因」は、概ね、中国侵略主義を指摘するものになっている。

※※※ まあ、日中軍事対立と衝突の可能性にしても、海空主流、陸はオマケになってしまう。その点困って「中国は領土的野望があるので、日本本土に上陸してくるのだ」と言い出すしかない戦車ファンの御仁もいるけどね。
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Comment

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戦争をゲームで論ずることの難しさ

本来は文谷さんの言われる「正対正」として、国際紛争を考えるのが正論です。
どの国であっても、貧乏はしたくない、国民の欲求は叶えたい、主権を強く主張したい。
だから元気があるほど紛争は起こる。当たり前の衝動で、これ自体の善悪を論ずべきではない。
いわば生存競争の現れであって、その意味でゲームです。

ところが、たいていの日本人は戦争をゲームに例えることに、明白な拒否反応を示します。
「原爆投下は、米ソ冷戦への備えとして、米国が仕掛けたゲームである。」こんなこと下手に言うと半殺しですわ。
結果として、戦争に関する言論は、戦争自体を悪と見做すか、敵国を悪と見做すかのどちらかの意見で埋め尽くされる。(だから、右と左の根っこは同じです)

尤も、戦争を善悪で論じていく人の気持ちも分からないではない。
誰だって、自分が戦死して「ゲームでしょ?」なんて言われたら納得出来ませんからね。理不尽であればあるほど、靖国のような施設も必要なのだろうと思いますよ。

そういう流れで専門家も絡め取られていくのです。死の軽さには誰も耐えられない。
だから、無理にでも善悪を捏造するのです。たとえそれが無意識だとしても。

Re: 戦争をゲームで論ずることの難しさ

おひさま さんのコメントを読んで、前にあった混乱の原因が分かりましたよ。
私が使っている「中国とのゲーム」の意味に取り違いがあるわけです。

国対国の間での「ゲーム」という言葉には、二つの意味があります。

・ 戦闘・戦争をオプションに含んでも、最善手だけを求めることを遊戯に喩えた「ゲーム」
・ 戦闘行為まではしませんよ、という意味を遊戯に喩えた「ゲーム」

どちらも、相手に対し有利を取ることを目的とした行動ですが、その中身には差があるわけです。

その点で、「中国とのゲーム」前者の意味を取ったおひさまさんと、後者の意味で使っている私との間で前のコメント欄での混乱が起きたのだと思います。

お返事ありがとうございます

>国対国の間での「ゲーム」という言葉には、二つの意味があります。
>・ 戦闘・戦争をオプションに含んでも、最善手だけを求めることを遊戯に喩えた「ゲーム」
>・ 戦闘行為まではしませんよ、という意味を遊戯に喩えた「ゲーム」

ご指摘のとおり、用語法に違いがありました。
基本的には文谷さんの言われる通り、中国関係では、後者の意味のゲームです。これで進んでくれる分には問題はないのです。

自分が危惧してるのは次の二点。
① 国内的には改憲論。
早い話が、後者としてのゲーム、軍事プレゼンスでは生ぬるいとする立場の人達です。(文谷さんが挙げられる記事の大半はこの方々。)
では、前者としてのゲームの進行をどう考えているのか?最善手どころか、ご存知の通りの有様なのですよ。
ですが、一定の世論の支持を得てしまっている。

② そもそも最善手は存在するか。
9.11以来の米軍の行動みてますと、結果的にはお話にならないレベルです。構想だけは立派ですけどね。
本来なら「後者のゲーム」で決着つくはずが、「前者のゲーム」に切り替わり、気が付けば泥沼の最悪手を打ってたなんてことはザラにあります。

結局、誰もゲームを信じてないし、それほど現実は簡単でないことも知ってしまっている。
これに①②が絡んで、さらに元自衛官とミリオタが首を突っ込み、善悪やら中国脅威論やら戦車教やら本土決戦やらの議論が形成されるのだろうと。

幸い日中関係では、外交関係がしっかりしてるので、妥協点も見出しやすく、後者のゲームの中で最善手に近付きやすい環境ではあります。
ですが、①の改憲論が絡むと、国内政治的な原理主義によって、外交が歪められるという惧れは否めません。

どの国、どの時代でも同じような苦労はあると思うのですが、やはり社会科学である以上、囲碁将棋みたいにはならないのですよ。
戦争をゲームで論ずることの難しさというのは、そういう意味です。