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- » 2023 . 03
Category : 有職故実
大名行列の前を横切っても、まずは切られることもない。御茶壺道中の「ずいずいずっころばし」の意味を知りたくてググったのだが。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111835471の回答の中で「大名行列も前を横ぎったり無礼をすると切られてしまう」とあるのを見つけてどんなものかと。間違いとはいえないが、実態に即しているわけではない。
大名行列の前を子供が横切ったくらいで、人斬り包丁を振り回す乱暴な御家中はまずない。子供の行列横切りは見て見ぬふり、大人でも痴れ者扱いで、多少のことはあっても横桁張る程度、ぶった斬るのはなかなかやることじゃない。
もちろん、大名行列の先触れは邪魔なものを蹴手繰り、投げ捨てるくらいなことはする。たとえば、幕末百話には、南部の家中と汁粉屋が遭遇した例が採録されている。お汁粉の屋台が、道なかでおしるこ沸かしていて、夜の大名行列に気づかないでいると、何も言わずに前触れが道具をぶん投げ蹴ったぐりする。しかし、この例でも、切れる鉄の延べ棒は振り回していない。下がる汁粉やを殴る蹴るもしていない。
例外は、領民に不人気な東北のA藩くらいなものか。他所の領民でも切るし、子供でも罪を減ずると称して耳を切り鼻を削いだ。幕末に横須賀の警備も担当していたのだが、そこでもロクなことはしていなかった様子。警備を交代した川越が「A藩は余り評判よくないので、何やったのか?」という調査すらしている。
そのような事をしていると、領民に愛想をつかされる。戊辰戦争で、官軍がA藩領内に進入した時も、領民が全く立ち上がらなかった。他所の例なら、なんだかんだでお殿様大事があるので、いろいろ協力する。だが、A藩は200年の支配をしながらも、それが起きていない。しかも、落城とお仕置きの時も、お殿様を救え一揆も起きていないのは稀有な例である。
武士道云々で賞用されていた御家中であるが、統治は非難されるようなものであったということか。殿様や家来も、民の父母ではなかったツケが回ったのだろう。士大夫として落第ということか。
ちなみに、御茶壺道中は旗本と御坊主の臨時編成にすぎない。確かに、権威あって大名行列よりも優先されたが、編成が編成なので、余程のことがない限り、お仕置きはしないだろう。
大名行列の前を子供が横切ったくらいで、人斬り包丁を振り回す乱暴な御家中はまずない。子供の行列横切りは見て見ぬふり、大人でも痴れ者扱いで、多少のことはあっても横桁張る程度、ぶった斬るのはなかなかやることじゃない。
もちろん、大名行列の先触れは邪魔なものを蹴手繰り、投げ捨てるくらいなことはする。たとえば、幕末百話には、南部の家中と汁粉屋が遭遇した例が採録されている。お汁粉の屋台が、道なかでおしるこ沸かしていて、夜の大名行列に気づかないでいると、何も言わずに前触れが道具をぶん投げ蹴ったぐりする。しかし、この例でも、切れる鉄の延べ棒は振り回していない。下がる汁粉やを殴る蹴るもしていない。
例外は、領民に不人気な東北のA藩くらいなものか。他所の領民でも切るし、子供でも罪を減ずると称して耳を切り鼻を削いだ。幕末に横須賀の警備も担当していたのだが、そこでもロクなことはしていなかった様子。警備を交代した川越が「A藩は余り評判よくないので、何やったのか?」という調査すらしている。
そのような事をしていると、領民に愛想をつかされる。戊辰戦争で、官軍がA藩領内に進入した時も、領民が全く立ち上がらなかった。他所の例なら、なんだかんだでお殿様大事があるので、いろいろ協力する。だが、A藩は200年の支配をしながらも、それが起きていない。しかも、落城とお仕置きの時も、お殿様を救え一揆も起きていないのは稀有な例である。
武士道云々で賞用されていた御家中であるが、統治は非難されるようなものであったということか。殿様や家来も、民の父母ではなかったツケが回ったのだろう。士大夫として落第ということか。
ちなみに、御茶壺道中は旗本と御坊主の臨時編成にすぎない。確かに、権威あって大名行列よりも優先されたが、編成が編成なので、余程のことがない限り、お仕置きはしないだろう。
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Comment
20:49
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No title
21:33
陸式提督
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年貢もそうですが、しょっちゅう仰せつかる御用金と賦役で悲鳴を上げている状況で、藩首脳部も頭を抱えたでしょうが、下々はそれ以上に苦労したのはまあ当然。
現在の我々がたかだが五年にも満たない政権与党の施策にうんざりすることを思えば、大地震から15年近くにも渡って続いた受難は
立ち上がって郷土防衛するなんて気力なんて無くすには十分な気もします。
また、よく言えば素朴で謹厳実直、悪く言えば強情で傲岸不遜な士風だというのは当時から割と広く知られてたようで、お台場警備に当たっていた折、先述の地震で屯所が崩壊して出火、心配して救援を申し出た他藩の人間に対し「火事など起きていない。手出し無用」(隣の砲台から400mちょいなので燃えてるのは一目瞭然)とけんもほろろに追い返し、死者多数出した上に火薬庫誘爆させかけて呆れられたりしています。
この手の話は他でも散見するので、悪い意味で教条主義なんでしょうね。
屯所からの出火は恥なのであってはならないし、行列に無礼を働いたとあれば屹度咎めねばならない訳です。
まあ奥州鎮撫総督府に提出した謝罪嘆願状を読むと、この辺の自分たちの性情をある程度は自覚してるっぽいですがw
さらに例外中の例外
14:57
人間魚雷回天
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瞬間風速的な愚かさでなら某A藩に勝てる唯一の事例かと。むしろ、A藩の場合は単純に愚かというより宗教者的な排他性や不寛容性が際立っている印象が。