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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2013.10
26
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12:00
Category : ミリタリー
 1術校での校長講話のメモが出てきた。今から10年近く前の、9月5日午後1-2時に行われた1時間の校長講話。昔から講話の時には、マメにメモを取っていたが、話の中身は余り書いていない。どちらかというと、なにか面白いことがないかと言うものを探して書いていた。この時のメモは、中級学生で聞いた講話で、日本海軍時代に作った映写講堂の二階席から眺めていたが、まずは観客の態度とかバタバタ寝るのが面白くてそればかりを見ていた。

 まずは、校長のお面について書いてあるが、個人が特定できるので省略する。いつも人相書のように「四角い顔で全体的に膨らむ」とか「頭髪やや薄く白髪多」といったものを書いて、その状況を思い出せるようにしていたが、大抵は失礼なことを書いていた。ちなみに、当時の課程主任(統率科の駄目艦艇3佐)についてメモには「不景気な面」、「残飯をあさる犬のよう」とか書いてある。奴と大声で口喧嘩した時に「貧乏神みたいな面しやがって」と口をついたのは、メモのせいだろう。

 話の内容は、偉い人の紋切り話だった。日本は前の戦争であんま悪くないみたいな、お店の都合のいいはなしだったことを思い出した。メモには「塩野七生のハナシは、PO[海曹]以下にはお歯にあわない」と書いてある。

 当然、聴衆は寝る。だが海曹士は寝ると班長クラスに怒られるので、必死になって耐えている。しかし、己達の幹部学生や、職員はお構いなく寝る。

 そもそも1佐級は最初から脚を組んでいる。同期相当ならわかるが、統率科長の若手1佐風情(艦艇装備)が脚を組んでいるのには、普段の言動と違う適当な野郎と思ったよ。で、その統率科長は1310には居眠りを開始。科長クラス(1-2佐)は、その時に10%は居眠りをしていた。

 主任といった3佐級も、1320にはボードで内職を始めている。まあ仕事が多いので、こういった時に内職するしかない。

 そのころ、前2列目の1佐が首を後ろに倒した形で昏倒するように寝た。飯食ったあとと、講話やるにはどうよの時間というのもあるが、どうにかすべきまわりの1佐も居眠りなので結果放置。校長もそいつが気になってしょうがない。とはいえ「こういう話だしな」とか「悪いのは俺か」と思ったのだろうし、冗談口での注意も学生の前だと言えない。

 そのころ「大東亜戦争」という言葉がでる。部内戦史的には「大東亜戦争」なのだが、まずは世間とのズレ。「パール判事の話もいいとこ取り」とメモにある。

 1325には、隣が眠りだす。2階の最前列なのだが、いつも真面目で忙しい奴なのでそのままにしておいた。海曹士の通路側が、通路に脚を投げ出し始めている。もともと椅子も戦前の小さい人サイズなので、巨漢タイプは椅子からはみ出す狭さなのでしょうがない。「科長級は服の中をボリボリ、POはヒゲを抜く、各学生の記録係は仕事があるので寝ないで済んでいる」とある。

 1337には「[校長が]尊皇家かつ敬神家なのは尊敬」と己も偉そうに書いている。ただし「昭和帝の憲法順守の素晴らしさを賞賛しているが、東条の憲法違反に触れていないのは片手落ち」とも書いてある。

 1345には、「POで脚を組み、海士[セーラー服]にも背中ボリボリがでる」とある。携帯をいじるのがいないのは、持ち込みを禁止しているためとかいてある。まあ饐だ。

 1350あたりからは、話の内容について己の評価があるが、1尉風情の書くものでもない内容。ただ、ズーッと艦艇勤務で、陸に上がって理系的な技術教育ならともかく、文系的な教育をやるというのは難しいのだろうなと当時から考えていた。中級のあとには、教官課程の教官をやったのだが、その時に講話のあり方について1佐将補クラスと話をしても、そんな感じだった。メモには塩野七生、桜井よしこ、八木秀次あたりは出すと品下るからやめておいたほうがいいとも書いてある。

 蘐園学派(桂園と誤記していた)に近いことを言っているのだから、徂徠の『政談』や『答問書』を読めばいいのにとも書いてあった。あとで別課程だか別教務班だかの記録係が話を聞きに来たので「『政談』や『答問書』」とか書いとけと書いたら、そのまま書きやがった。あとで感心したある科長級からそいつ褒められて呼び出しを受けたが、しどろもどろだったので結局己も呼ばれた。「もっと中身も教えてやれ」と怒られたよ。ただし、その日(だったと思う)にはふたりとも外で科長からタダ飯タダ酒にありつけた。

 他にも副校長や、掃海機雷科長、港務科長の講話メモが残っている。

 そういえば副校長の時には、己が記録係だった。講話を聞きながら記録草稿を作り、昼飯食わないで20分手書き(ロットリングで書いていた)で上げて第2(だったと思う)学生隊長に提出した。連絡官やったあとだから、議事録作るのはお手の物だったが、「速すぎる、前の話を流用したのでは」と疑われた。仕方がないので、メモを見せたら、副校長の人相書と似顔絵、口癖、手癖やら、席が前のやつの後ろ頭の絵、しかも「首の後ろうなじ部分にアトピーの痕か、右手で掻ける範囲だけ禿げて瘢痕化」とか書いてあったので「オマエ面白半分で聞いているのだろう」と怒られたよ。でもまあ「記録本紙をご覧になっていただけば」と言ったら「まあよく書けている、やることやっていればいいか」と印鑑ついてくれたのも思い出。
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