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- » 2023 . 03
Category : ミリタリー
昭和20年8月6日の広島被害について。民防空を所管する内務省と軍部は即時意見収集をはじめた。
結果、『特殊爆弾』ということで発表することになったのだが、それは『原爆でない』と言い切る識者の意見が反映していたようだ。
例えば、京大の荒勝教授は『自分達が今考えている原子爆弾は、瀬戸内海の水が全部ひっくり返るのが最小規模』と陳述したという。(『大霞』の三好重夫:当時京都府知事 の回顧談)
当時、原爆については、大気中の窒素が連鎖的に核融合するのではないか。そうなると地球がプチ太陽と化すのではないかとする考えもあった。こういった背景があって、広島に投下されたのが原爆であるとは肯定しきれなかったのだろう。
その後、広島での資料採取と調査で放射能が検出され
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/news/2000/nov/index.html#kin_01
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/05abom/news/An05072403.html
ということになった。原子爆弾と判断されたのは、8月15日、終戦のその日であった。
しかし、原子爆弾と判断される前でも、その威力については短期間のうちに周知させられたらしい。
3日後、9日の長崎原爆投下。被爆直後、防空壕から出た長崎県関係者が爆圧でペシャンコになった町並を見た。
そこで
『新型爆弾かネェ』(大意)
『それにしては、威力が小さい、火事も起きない』(大意)
という会話(これも『大霞』より)をしている。ただ、しばらくして原爆の輻射熱でポツリポツリと火がつき始め、それから市街が業火に包まれる様を見て、その威力を実感したという。
原子爆弾であるかどうかはともかくとして。特殊爆弾の大威力は、9日には周知されていたということだ。
なお、ベルンの加瀬公使も、終戦工作の傍ら、広島への攻撃が「原子爆弾である」という報告をしている。(これはUSSBSの史料に残っている)他の中立国外交官も、おそらく似たような報告をしているのだろう。
結果、『特殊爆弾』ということで発表することになったのだが、それは『原爆でない』と言い切る識者の意見が反映していたようだ。
例えば、京大の荒勝教授は『自分達が今考えている原子爆弾は、瀬戸内海の水が全部ひっくり返るのが最小規模』と陳述したという。(『大霞』の三好重夫:当時京都府知事 の回顧談)
当時、原爆については、大気中の窒素が連鎖的に核融合するのではないか。そうなると地球がプチ太陽と化すのではないかとする考えもあった。こういった背景があって、広島に投下されたのが原爆であるとは肯定しきれなかったのだろう。
その後、広島での資料採取と調査で放射能が検出され
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/news/2000/nov/index.html#kin_01
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/05abom/news/An05072403.html
ということになった。原子爆弾と判断されたのは、8月15日、終戦のその日であった。
しかし、原子爆弾と判断される前でも、その威力については短期間のうちに周知させられたらしい。
3日後、9日の長崎原爆投下。被爆直後、防空壕から出た長崎県関係者が爆圧でペシャンコになった町並を見た。
そこで
『新型爆弾かネェ』(大意)
『それにしては、威力が小さい、火事も起きない』(大意)
という会話(これも『大霞』より)をしている。ただ、しばらくして原爆の輻射熱でポツリポツリと火がつき始め、それから市街が業火に包まれる様を見て、その威力を実感したという。
原子爆弾であるかどうかはともかくとして。特殊爆弾の大威力は、9日には周知されていたということだ。
なお、ベルンの加瀬公使も、終戦工作の傍ら、広島への攻撃が「原子爆弾である」という報告をしている。(これはUSSBSの史料に残っている)他の中立国外交官も、おそらく似たような報告をしているのだろう。
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