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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2014.03
17
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Category : 未分類
 分隊会、まあ戦友会みたいなのに行ってきたのだけどね。幹部候補生の時の分隊の寄り合いなんだが、まあ20年近く前の話が出てくる。候補生学校で最後の40人部屋、練習艦も国内巡航は最後の「かとり」だったので、次のクラスとは生活の断絶があった。

 40人部屋は、まあタコ部屋そのもの。施設も古い。戦争中に適当に作ったものだから、海砂を使ったのかコンクリートが中性化している。甲板点検前の整備で、柱の中性化部分を穿っていたら、拳が入るほどの穴になり、しかも鉄筋が現れないということがあった。甲板係(後期)も適当で、表面だけ塗っておけ、奥は触るなといわれたよ。

 その甲板係の話になって、前期の甲板係が寝言で「仕事が間に合わないよ」といっていた話も出た。まあ、防大出たくせに肝が座らず、細かいことを気に病む男で、総員起こし前に、ベットの中で靴下を履くような姑息なことをしていたので、隣の同じく防大卒にガツンとやられていた。総員起こしで後ろに並ぶとあんま評価がよくないあたりがその原因だが、そんなの戦闘でも己の評価はよろしくない。一番だと体操の号令官やらされるのがメンドイので、いつも中途で抜かれて3-5番のあたりで整列していた。

 己が総員起こしで早いのはあたりまえだ。名前が最後尾なので、出口に一番近い。出口も階段もラッシュに巻き込まれずに整列位置に辿りつける。ただ、出入口に近いので、ベットもよく幹事付(お一人が最近に亡くなったと聞いて、若いのに気の毒だと思ったよ)に飛ばされていた。

 幹事付も商売で、気軽に飛ばしていると思っていたので、己は慣れっこになっていた。エリートであるため、酷いことはするけど、理不尽なことはしなかった。そもそも、練艦隊とは別に、候補生学校で撲られたことは一度もない。ただベットがメチャクチャにされたり、ひっくり返したりされるだけで、金も命も取られない。だが、人によっては気に病んでいた。奥の方は普段はあまりチェックされないものだから、ベッドも手を抜きがちかで、回数は少ないものの散々やられる傾向にあった。

 その点、己はベットが飛ぶのはいつものことだし、時間的余裕が相当あったので、ベットメイクを2回3回やることは大して苦にもならなかった。飯もヘタすれば朝昼夜に自前で用意し、風呂も5月連休明けから翌年3月末まで屋上露天冷水シャワーで済ませていた、体力練成も「要錬成」に留めた(持久走は、後半はあと6-12秒切れない状態で持たせた、それでも持久走はキツかったけど)、集団競技にならないようにしていたので、時間は余っていた。

 候補生学校は時間を減らすことで圧迫しようとするが、飯と風呂を使わないという対策を取るとは想定外なのだろう。飯はレトルトを、熱湯温水器のお湯で戻して、温めて食っていた。おかずはふりかけ程度。ゴミはわからないように捨てる。授業中は眠気覚ましに煎餅を音を立てずに間食。幹事付はPXの食堂だけを警戒しているので、結局気づかれはしなかった。お陰で己は朝からゆっくりと朝日新聞が読めたし、昼も図書室で謎の本を読めた。

 さらに試験もどうでもいいやと思っていたので、勉強で追い詰められもしなかった。試験前の自習時間もに当時のメチエ新刊の『ユダヤ教 - 一神教の誕生』とか『江戸のファーストフード』とか、東洋文庫版の『耳嚢』、岩波思想体系の『答問書』あたりを読んでいて分隊長に呆れられたことがあった。あとは、パソコン初期で勉強と区別がつかないので、同人の原稿を作っていた。己としては「1日8時間労働」とか「ILO条約」(日本は未批准)とかフカしていてそんなものだった。

 割と傍観者だったのだろう。そう簡単に馘首にはできまいし、馘首になっても商売なんていくらでもあると考えていた。最悪でも氷菓子屋なんか面白かろうと思っていた。氷屋の自転車に、アイスキャンディー積んで鐘鳴らしながら「アイスクリーン」ってアレね。なれない海幕長になる勉強よりも、辞めて食っていける勉強のほうがいいなあともね。真面目な話だろ候補生学校の時には、解体旧民家から梁とか柱を回収する仕事を調べていた時期もあったよ。開業に必要な許認可と、出せそうな木材市場を探していた。

 自衛隊の勉強なんかしないから、睡眠もぐっすり。同期会に来ていた潜水艦の艦長(予定者)と、来なかった掃海艦の艦長(予定者)と、己はさっさと寝た。特に後に掃海屋になるSは、歯磨きも先に済ませて、五省が9時45分に終わるとさっさと寝室でベットに入っていた。12時まで延灯(自習延長)して、その後も廊下の明かりや懐中電灯でやっている奴らとは睡眠時間が違うので、心の健康にも良く影響したのだろう。多忙な部隊勤務のときには、平日の睡眠は長くて5時間、下手をすると3時間未満しかなかったことに較べれば、よほど健康によい。

 ベットの思い出だと、寝台向かいのM、旧軍でいう寝台戦友のMを思い出す。分隊は一般大が二人多かったので、己とMが隣同士で寝台も足を接する位置になった。たまに互いの足がぶつかって冷やっとする関係なのだがね。あの野郎、一回、寝ぼけて己のベットに腰掛けたか寝ようとしたことがある。用足しにいった帰りに、自分のベットと己のベットを間違えて着て、ああゴメンといわれたのだけどねえ。

 翌日本人に聞いたらそんなことし知らんとのことだった。割りと勉強していたのだが、3尉任官してから辞めて、その後に経理系事務官で入り直した男だった。いや、それ待遇として最悪だろという話をしたよ。

 寝ていて叩き起こされたこともあった。まあ、陸式の非常呼集のようなものだが、深夜に叩き起こされて発光を拾わされたことがあった。己は発光が苦手で、モールスも音で聞けば分かるのだが、光だとチカチカしているようにしか見えない。可能なときは、電鍵を叩く音で聞いてズルをしていたのだが、その時はなんとなくだが、飛ばし飛ばしに発光を拾えた。そこから意味のある文章をでっち上げて試験をパスしたのだがね。

 そのことは分隊長以下、誰も覚えていないという。そんなことをやったのかとも言われたり、何か別の課程じゃないのかとも言われたが、発光なんて陸上配置では幹部候補生でしかやっていない。その記憶もあるのだが、回りにそう言われると、己の記憶の捏造ではないかと疑うものだよ。
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